【①はじめに】
ボードゲーマーの皆さん、こんにちは!
この記事はBoard Game Design Advent Calendar 2023のために書かれたものである。
今回の記事のテーマは「ボードゲームにおける時間の扱い」についてだ。
ゲームをプレイする上で必ず関係のあるもの、しかしあまり注目されることのない「時間」という存在と「ボードゲーム」の関係について自分なりの考察を述べていく。
内容としてはデザインについての細かな部分というよりは、マクロな視点からボードゲームの性質を深掘りしていくつもりだ。そのためゲームデザインとは一見関係ないような話が出てくることがあるが、最終的にはデザインの話に着地するはずである。(多分)
またあくまで僕の経験や考えに基づいて話を進めていくため、間違った内容や見当違いの内容を含んでいるかもしれない。それを了承した上で読んで貰えるとありがたい。
と、まあ堅苦しく述べたが、全体的な記事の方針としては分かりやすく、かつ楽しく読めるように配慮するつもりだ。是非ゲームデザインにそこまで興味が無い方も読んでくれると嬉しい。
さて、では本題に入る前に「楽しく読める」工夫として、とあるエピソードを紹介することから始めたい。なにそこまで珍しい話ではない。どこにでもいるような1人のボードゲーマーのお話である。
【②前置きとしての物語】とある御宅の変則遊戯(ハウスルール)
あるところに「太郎君」という1人のボードゲーマーがいました。
太郎君はボードゲームを遊び始めて今年で5年目。これまで様々なゲームを遊んできて、今はプレイ時間が2時間ほどの重量級ゲームを好んで遊んでいます。
とはいえ毎日のようにボードゲームで遊べるほど時間は無く、2週間に1回開催されているクローズ会が数少ない遊ぶ機会でした。
そのクローズ会では太郎君の他にAさん、Bさん、Cさんの3人が参加していて、いくつか重量級ゲームを遊ぶのが恒例になっていました。
太郎君にとってボードゲームは楽しいもので、それを遊ぶ機会に恵まれていることにも感謝しています。しかしそれはそれとして、彼には1つ悩みがありました。
それは「長考」という問題でした。
太郎君が共に遊ぶAさんBさんCさんはどれもじっくり考えるタイプのプレイヤーであり、1つのゲームをプレイするのに膨大な時間がかかっていました。
当初、太郎君はこれを大した問題ではないと思っていました。しかし仕事が忙しくなり、ボードゲームをする機会が減っていくたびに、このことが気になってしょうがなくなってきます。
「どうしてインストが必要ない2時間ゲームを2つやるだけで1日が終わってしまうんだ……」、太郎君は深く思い悩むようになっていきました。
この問題を解決する手っ取り早い方法は、太郎君が別のコミュニティに移動して、そこでゲームを遊ぶことです。しかし他3人は古くからの付き合いで、互いに関係も良好であったため縁が切れてしまうのは出来れば避けたい。太郎君としては「長考」という問題だけを解決できるならそれがベストだったのです。
何日か考えた後、太郎君はこれを解決するアイデアを思いつきました。
そして次のクローズ会、4人が集まった場でそれを披露することにしました。
太郎君は他3人に自分のスマホの画面を見せてこう言いました。
「これはBoard Game Timerというアプリで、プレイヤー毎にどれだけ時間を消費したのかを測定することが出来る。これを使ってこんなハウスルールを取り入れてみないか?
プレイヤーはアプリを使ってゲーム中、自分の手番の間にどれだけの時間を消費したのかを計る。それでゲーム終了時、どれだけ時間を消費したかに応じてボーナス得点を得るんだ。例えば手番の時間が最も短かったプレイヤーはボーナスとして全体の点数の5%、つまり総得点100点のゲームなら5点のボーナス得点を得る。逆に手番の時間が最も長かったプレイヤーはペナルティとして5%のマイナス点を喰らう。と、ざっくりこんな感じだ」
それを聞いてAさんが質問しました。
「ボーナスが5%というのは少しデカすぎやしないか?1位と4位で10%も差がついてしまったら、それだけで勝負が決まってしまう可能性がある」
「それなら5%と言わず、2.5%ずつとかでもいい。%が面倒くさいなら、始めに1位は2VP、4位は-2VPなど規定の得点を決めてしまってもいい」と太郎君は答えます。
次に質問したのはBさんでした。
「点数がないタイプのゲームはどうする?勝利条件を満たしたら勝ちといったのゲームだとこのルールは機能しないだろう?」
「その場合は都度ゲームによって考えよう。同じラウンドでフラグを切った時のタイブレーク判定が有利になるとかがいいかもしれない」と太郎君は答えます。
そして太郎君は一拍おいて、こう続けました。
「まあ細かいことは後々決めよう。ひとまず僕が言いたいことはね、ゲーム中の思考時間を何らかの方法で評価してやろうということなんだ」
太郎君の提案にAさんBさんCさんは顔をしかめます。
正直な話、3人はこのハウスルールを導入したくはありませんでした。時間に追われてゲームを行うのは急かされてる気分になるだろうし、存分にゲームを楽しめないと考えたからです。
しかし頑なに断るほどでも無かったので、「ひとまず一度試してみるか」という形で、このハウスルールで遊んでみることにしました。
そうして始まったゲームの序盤、中央に置かれたタイマーのおかげか、スピーディにゲームが進行していきます。これを見て、太郎君は「これで問題は解決だ!」と思いました。
しかし実際は太郎君の思うように進むことはありませんでした。
問題はゲーム中盤、Aさんの手番で発生します。
この手番でAさんは難しい選択を迫られ、その結果かなり長く考え込んでしまいました。その結果、他3人と比べて多くの時間を消費している状態になります。
他の誰かがよほど長考しない限り、この差を覆すのは不可能の様に思えました。
なのでAさんはペナルティを受けることを承知で、いつも通り深く考えてゲームをプレイすることにしました。当然一人だけ消費時間が増えていきます。
それを見て反応したのはBさんとCさんです。
現在消費時間争いの4位はAさんで、1位は太郎君です。
BさんとCさんは太郎君がよほど長考しない限り1位を取るのは厳しそうです。
そこでBさんとCさんは1位のボーナスを諦め、Aさんの思考時間を超えない程度にゆっくり考えることにしました。
これが繰り返し行われることで3人の思考時間はどんどん伸びていきます。
その結果、最終的なプレイ時間はハウスルールを導入する前とそう変わらないものになってしまいました。こうして太郎君の試みは失敗に終わったのでした。
【③対局時計を使ってボードゲームをプレイする】
上記の「太郎君のお話」はフィクションだが、このエピソードには色々と考える余地がある。
最も議論するべき点は、太郎君が提案した「対局時計を使ってボードゲームをプレイしよう」というアイデアだろう。この記事を読んでるあなたはこの提案に対してどう思ったか?
ABCさんの様に「こんなルールで遊びたくない」と感じただろうか?
逆に「このアイデアに賛成だ!」と思った人もいるかもしれない。
だが全体的にみれば、太郎君の提案に反発を覚える者の方が多いはずだ。ボードゲームの最中に時間を計り続けるというのはメジャーではなく、抵抗があるのも頷ける。
それにボードゲームというものをゲームデザイナーという至高の料理人が緻密に作り上げたものと捉えてる方なら、素人の考えたハウスルールを導入するなんてのは緻密なバランスをぶっ壊す、上等な料理にハチミツをぶちまけるかの行為とさえ考えてもおかしくはない。
こういった意見や反発があるのはもっともだ。
だが同時に僕はこの「対局時計を用いてボードゲームを遊ぶ」という行為は悪くないと思うし、なんならもっとスタンダードな遊び方になってもいいと思っている。
そこで記事を読んでくれてるあなたに、僕から1つ提案をしたい。
それはタイトルにある通り「あらゆるボードゲームに対局時計を導入してみないか?」というものだ。この提案に対してあなたが今どのような意見を持っているかはひとまず置いておこう。まず僕がこの記事の中で、なぜそう考えているかを解説する。
またその過程で現代の「ボードゲーム」と「時間」の関係についての考察も行っていく。あなたはそれを読み終わった後で、この提案を受け入れるか、拒否するかを決めて欲しい。
それじゃあ、ようやく本題に入ろう。
(リアルタイムゲーム①)
【④時間の扱い:ボードゲーム以外の場合】
まず「ボードゲームに対局時計を取り入れる」とはどのような効果を狙ったものなのかを考えてみる。「太郎君のハウスルール」では各々が手番で消費した時間を測定し、それによってボーナスやペナルティを与えていた。
これは即ち「時間をゲームのルールに組み込む」ことを意味している。
通常ほとんどボードゲームでは時間に関するルールは明確に決められておらず、プレイヤー同士の裁量に任されている。今回のハウスルールではそこをプレイヤーの裁量ではなく、ルールできちんと線引きしようという試みだ。
だがこの試み、「時間をルールに組み込む」という行為は、ボードゲームではあまり見られないことだが、その考え自体はそう珍しいことではない。
その根拠としてボードゲーム以外の「ゲーム」で時間がどのような扱いをされているかを簡単に見ていくことにする。
まず挙げたいのは「将棋・囲碁・チェス」である。
これらはボードゲームの一種であるが、今回議題に上がっている「対局時計」が元々これらのゲームで用いられるものである為、最初に取り上げることにする。
これらのゲームは2人用で、それぞれのプレイヤーには持ち時間が与えられ、これは対局時計によって管理される。プレイヤーが自分の手番の間、持ち時間は減少していき、これを消費した者は1手番を非常に短い時間で終わらせなくてはならなくなる。
この「対局時計」のルールは「思考時間も1つのリソースである」という考えに基づいている。例えば技術的に未熟なプレイヤーであっても、時間を消費すれば熟練したプレイヤーのような手を考え付くかもしれない。だがそれだけでは「強いプレイヤー」とはみなされないだろう。
これらのゲームにおける「強さ」とは勿論良い手にたどり着く思考力も重要だが、限られた時間をどう消費するかも求められているからだ。早く考えることは立派な能力なのである。
このように「将棋・囲碁・チェス」などでは「対局時計」を導入することで時間をルールの支配下に置き、それをどう扱うかがゲームの戦略や勝敗に影響を与えている。
次に取り上げたいのは「スポーツ」だ。
スポーツは自分の肉体を使用するという点で大きく異なるが、ルールがありプレイヤーがその中で対戦するという部分に注目すればゲームの一種と言えるだろう。
数あるスポーツの中で分かりやすく「時間」に着目したものと言えば、「サッカー」や「バスケットボール」といった試合時間が決められているタイプのものだろう。
これらのゲームでは事前に「これが何分間のゲームか」が明示され、それが尽きることでゲームが終了する。また時間に関するルールはそれだけでなく、「特定の状況になったら時間のカウントを止める」といったルールも詳細に決められている。
こういった時間のルールはチームや選手の意識に影響を与える。
同じスコアであっても、残り時間が十分にあるのか、ほとんど時間が残されていないのかで戦略は大きく変わるはずだ。これも「将棋・囲碁・チェス」のように時間にどう向き合うかがゲームの一部を担っていると言えよう。
では試合時間が決められていないスポーツ、「野球」や「テニス」といったラウンド式や規定得点を取ったら終わりといったものはどうだろうか?こういったスポーツでは時間は無視されてるのかと問われれば、全くそうではない。
こういったスポーツにおいても明確な遅延行為、例えば疲れを取るために一向にプレイを行わないといったことがあれば反則として罰せられる。ただこの部分については明確なルールがあるわけではない(と思う)。「プレイを3分以上遅延させたら罰則」などそういった決まりは明確にあるわけではない。
この問題を解決するのは「審判」の存在である。
「審判」はルールが具現化したような存在であり、ルールで明確に定められてはいないが際どい行為については審判が判断を行う。先に例に挙げた明確な遅延行為などは審判がそう判断すれば反則になる。
このような「審判」や「試合時間」という概念が存在することによって、スポーツにおいても時間はルールの管理下に置かれているのである。
最後に言及したいのは「デジタルゲーム」だ。
これは上記2つのゲームと比べても「時間」を管理することに長けている。
そもそもデジタルゲームで人気のアクションやシューティングというジャンルで時間が非常に重要な役割を担っているというのはある。これらのゲームは基本的にリアルタイムで進行するし、限られた時間の中で的確な判断を求められる。
だが僕が言いたいのは、そういったゲーム性とは関係なしに、やはりデジタルゲームでは時間に関するルールが定められていることが多いのだ。
例えば格闘ゲームでは「相手のHPを削る」のが目的であるが、同時に1ラウンドで〇〇秒といった時間制限が設けられている。
デジタルカードゲーム(DCG)では1ターンの長さが定められており、プレイヤーはこれを消費しきると自動的にターンが終了してしまう。このルールは操作が忙しいタイプのデッキ(無限ループを目指すコンボデッキなど)に対して制約を与え、ゲーム性にも影響を与えている。
むしろデジタルゲームにおいて時間に関するルールが定められていないものというと、RPGやパズル系といった1人で遊ぶタイプのゲームくらいではないだろうか。
ほとんどのデジタルゲーム、特にプレイヤー間で対戦要素のあるもの(更に言うならオンライン要素があるもの)は高い確率で時間に関する制約やルールがある。これはあまりに当たり前すぎて言及するほどが無いほどだ。もし対戦要素のあるデジタルゲームを作る上で時間に関するルールを一切取り入れないとしたら、それは何かよっぽどの理由がある場合だろう。
と、ここまで「将棋・囲碁・チェス」「スポーツ」「デジタルゲーム」という3種のゲームにおいて「時間」がどのように扱われているかを見てきた。これらに共通しているのは、どれも時間をルールの中に取り込もうとしている点だ。プレイヤーはゲーム開始前に時間に関する明確なルールを知ることが出来るし、時間の存在がゲームの勝敗や体験に影響を与えている。
これを見ると「太郎君のハウスルール」が提唱している「時間をゲームのルールに組み込むこと」はむしろありふれた考えであり、それ自体がそこまで的外れな意見ではないと言えるはずだ。
(リアルタイムゲーム②)
【⑤時間の扱い:ボードゲームの場合】
では次にボードゲームにおいて「時間」がどのように扱われているか見ていこう。
ボードゲームにおいて「時間」の扱われ方は先の3種のゲームと対照的だ。なぜならほとんどのボードゲームでは時間に関するルールが定められていない。かの有名な「カタン」や「ドミニオン」、その他モダンな戦略的ボードゲームのルールブックには「時間」に関する記述は一切見られない。時間の取り扱いはルールではなく、それを遊ぶプレイヤー達に任されている。
つまりこれはボードゲームという枠組みの中では、時間はリソースでなく、その使い方は評価されないことを意味している。
例えばこれは極端な例ではあるが、全く同じ局面で「10秒かけて選んだアクション」と「10分かけて選んだアクション」があるとする。先に挙げた「将棋・囲碁・チェス」などではこの時点で大きな差が生まれている。
しかしボードゲームのルールの中ではこの2つの価値は等しい。いやそれどころか、後者の方が得点が伸びるのであればゲームはそちらの方が良い手だと評価する。
ボードゲームはプレイヤーが限られたリソースの中でどれだけ適切なアクションを打てたかを「得点」という形で評価してくれる。しかし「時間」がリソースとして扱われていないため、ゲームはそれをどう使おうと評価をしてくれない。これは他のゲームと比べてもとても奇妙だ。
そしてここまでの話を聞いて「ボードゲームにも時間に関するルールが決められているものはある!」と主張するものがいるかもしれない。確かにボードゲームにも時間に関するルールが定められているものはある。それは「リアルタイムゲーム」と呼ばれ1つのジャンルを築いていることは事実だ。
だが僕はこの「リアルタイムゲーム」という言葉自体が、ボードゲームにおける「時間」の扱いを端的に表しているのだと考える。
つまり「時間に関するルールの有無」でジャンルが区別されてしまうのは、普通のボードゲームにおいては「時間に関するルールが無いこと」の証明だ。もしボードゲームでルールに関する時間を取り入れることが普通なら、わざわざジャンル分けをする必要もない。
例えばスポーツにおいて試合時間が決まっているものを「リアルタイムスポーツ」と呼ぶことは無い。デジタルゲームでも対戦ゲームに時間制限があるのは当たり前なのでそこでジャンルを分けることはない。DCGで1ターンに制限時間があるからざわざ「リアルタイムカードゲーム」なんて呼んだりはしない。
これは些か乱暴な論理ではあるが、そこまで的外れな指摘でもあるまい。
思うにゲームにとって一番重要なものはルールである。
ボードやコマはそれだけではただの物質であり、何一つ価値を持たない。
それに意味を与えるのはルールだ。プレイヤーにルールを与え、プレイヤーがそれを守ることで初めてボードやコマに意味が生まれ、ゲームが出来上がる。
言わばゲームにとってルールとは命を与える心臓なのだ。
しかしボードゲームにおいて心臓ともいえるルールの中に「時間」の居場所は無い。プレイ中、確かに「時間」は僕たちの周りに存在しているのに、ルールはそれを無いものかのように扱っている。
いやそれどころか、プレイヤーである僕たちも時間から目を背けようとしているようだ。「対局時計を用いる」という提案に対して自然と反発を覚えたように、僕たちは時間という存在がボードゲームの表舞台に立つことを拒む。そしてゲームデザイナーたちも、その意図を汲むかのように、プレイヤーに時間を意識させないようなゲームをデザインする。
そう考えると、これはまるで共犯関係のようである。
「ルール」は時間の存在を認めず、「プレイヤー」は時間から目を背け、「デザイナー」は時間を隠そうとする。
こうした3者によって、ボードゲームのルールと時間は切り離されている。
【⑥ルールと時間が切り離された3つの要因】
では何故ボードゲームはこのように「時間」を扱うようになったのか?
僕はこれには大きく3つの要因があると考えている。
この項ではそれを解説することで、ボードゲームの抱える背景にあるものを明らかにしていこう。
『要因①:ボードゲームは競技ではなく、遊戯である』
一つ目の要因は「ボードゲームは競技ではなく、遊戯である」ということだ。
まず先に挙げた時間に関するルールが定められている3種のゲームは、どれも競技性が高いという特徴がある。ここでいう「競技性」とは「ゲームの勝敗をどれくらい重要視しているのか」といったことを意味している。
競技性の高いゲームでは、プレイヤーは何よりも勝つことを目指す。そしてその過程で自然と発生する相手との駆け引き、勝敗によって生じる感情の揺れ動き、そういったものが面白さの根源にあるゲームだ。
そして「競技性の高いゲーム」で重要なのがプレイヤー同士が公平であることだ。何かしらの要因で不公平さが生じ、それのせいで勝敗が決まってしまうのなら、プレイヤーは興ざめしてしまう。これを防ぐために細かななルールが必要になるのである。
時間という目には見えない領域に関してルールを制定するのも、プレイヤーに公平だと思わせるためだと言えるだろう。
しかし対してボードゲームはどうだ?
確かにボードゲームにも勝敗は存在するが、それに強い比重が置かれている訳ではない。ボードゲームで重要視されるのは「勝敗」よりも「その場の全員が楽しい時間を過ごせること」である。1つの卓を囲んで、顔を合わせながらゲームを行う。
それによって自然とコミュニケーションが生まれる。ボードゲームではそういった時間や空間を何より大切にしているし、プレイヤーもそれを望んでいる。
これはつまりボードゲームは競技と言うよりも、遊戯であることを意味している。
そして目的が「良きコミュニケーションを取ること」であれば、競技性の高いゲームで求められる「公平さ」は重要ではない。わざわざ時間に関するルールを作らなくても問題ないのだ。それどころか、時間に関するルールを制定してしまうと、プレイヤーは常に時間を意識してしまい卓全体に緊張したムードが漂ってしまう。
これは「良いコミュニケーションを取る」上で妨げになるかもしれない。
だからこそ多くのボードゲームで、ルールは時間について言及しないのだ。
(先に述べた「将棋」や「スポーツ」においても競技性を重視せず、ただ友達同士で楽しく遊ぶことを目的とするなら、時間に関するルールが制定されることもない)
また「プレイヤー」が「対局時計を導入する」といった提案に対して反発を覚えるのは、この「良いコミュニケーションを取る」という要素が大きく関係している。勿論プレイヤー自身が時間を気にして窮屈にプレイをしたくないという理由もあるだろうが、同時にコミュニティに火種を作りたくないという気持ちもあるはずだ。
コミュニティで時間について言及する事、つまり長考について苦言を呈したり対局時計を導入しようと提案することは、そのコミュニティで最も長く考える者への攻撃だと捉えられるかもしれない。
また自分がそういった状況に不満を持っていることを大声でアピールするようなものだ。実際その人に特定の個人を攻撃する意図がなくてもコミュニティを分断する争いの種を生んでしまうかもしれない。
だとすれば現状維持のために時間から目を背けるというのは合理的な判断である。
『要因②:ボードゲームで時間を管理することの難しさ』
2つ目の要因は、ボードゲームで時間を管理することが難しいことが挙げられる。
対戦型デジタルゲームにおいて時間に関するルールが整備されているのは、デジタルと言う性質が、時間をゲームの中に取り込むのに相性が良いからというのも理由の1つだろう。だが対照的にボードゲームで時間をキッチリ管理させるのは難しい。
一応「対局時計」のようなものを用いたり、タイマーを利用することで「時間」をゲームの中に取り込むことは出来る。しかしせっかくボードゲームが電源を使わないものとルールで構築されているのに電子機器で時間を管理するというのは、世界を壊されたかのようで興ざめする人もいるだろう。
ではアナログ的な方法で時間を管理しようとするなら「砂時計」を用いることになるが、これも万能ではなくデジタルタイマーほど便利なものではない。また必要なコンポーネントかと問われれば疑問だし、そのせいで制作費が増えるとすれば導入はしたくない。
また「スポーツ」で導入されている「審判」のような存在を取り入れることも難しい。ボードゲームは遊戯で、参加するプレイヤーが全てゲームに参加している。この状況では誰かしらが判断をするとなれば、ゲーム的な思惑が入ってしまい公平な判断はなされない(これはプレイヤー間で投票を行うタイプのゲームで発生しうる問題でもある)
審判を導入するなら、ゲームに参加しておらず適切な判断を行える人物を用意せねばならない。そんな人をゲームの度に用意するのは現実的ではない。もしボードゲームにおいてゲームに参加していない外部の人間が、外から判定を行う事象があるとするなら、それは「審判」ではなく多分「ゲーム外から勝手に口出しする激ヤバおじさん」だ。
と、このようにアナログという性質が「時間を管理する事」と相性が良くないのも要因の1つと言える。
『要因③:より初心者に厳しいゲームになる』
3つ目の要因はリアルタイムという要素が初心者に優しくないという点だ。
どんなゲームも初めてプレイする人間は不利だ。
とはいえこれはボードゲームに限った話ではなく、このこと自体は問題ではない。だが何事も限度がある。あまりに初心者に厳しいゲームは初めてのプレイで酷い体験をして2度とゲームをプレイしないことさえありえる。
そして時間に制限を与えるというルールは初心者に厳しく、そのような状況が起こる可能性を高める。
例えばとある局面で経験者は過去の経験から定石のようなものを学んでおり、特に時間を消費せずプレイを行うことが出来る。ただ初心者は何も分からない状況でこの問題に立ち向かわなくてはならない。
これは解決すること自体も困難であるが、消費する時間という点でも不利である。
そういった戦略的な話ではなく、もっと基本的な、例えばカードテキストがあるタイプのゲームで初心者はそれをいちいち読んで効果を理解せねばならないが、経験者はイラストを見るだけで何のカードか知ることが出来るだろう。
これらの事象は時間がルールに組み込まれていないのなら問題にはならない。時間はかかるが初心者がテキストを読む時間を取ればいいだけだ。だがリアルタイムゲームであるなら足かせになる。プレイヤーを公平にするためハウスルールを取り入れようとしたのに、別の不公平を生み出してしまっているのだ。
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さて、ここまでボードゲームがルールと時間を切り離すことになった3つの要因について見てきた。この3つの中で重要度が最も高いのは「ボードゲームは競技でなく、遊戯である」という要因だと僕は考えている。
ボードゲームは人と顔を合わせて行うゲームだ。そのため遊ぶ上で他人とのコミュニケーションの存在は決して無視できない。ボードゲームは楽しい時間を過ごすための遊戯である。
これらの主張は力強く、正しいことは間違いない。
だがこの「ボードゲームは遊戯だ」という主張の心地よさにかまけて別の問題から目を背けてはないだろうか?
確かに「対局時計」を導入するという提案に問題点があることは認めよう。
しかし同時に「ルールと時間の切り離し」によって別の重要な問題が生じていることを僕は指摘したい。「結局プレイする環境によるのだから、その人たちの裁量に任せよう」、これも正しい意見だがそこで思考を止めてしまえば奥に隠れた問題は一向に解決しない。
それを証明するため、ここからは上記の要因に「反論」する形で「ルールと時間の切り離し」によって生じた問題点を指摘していくことにする。
(反射神経を問うゲームも一種のリアルタイムゲームだ)
【⑦ルールと時間の切り離しによって生じた問題点】
『反論①:ボードゲームは競技ではないという幻想』
「ボードゲームは遊戯である」という主張は正しい。だがそれは「ボードゲームに競技でない」ことを示しているわけではない。
思うにゲームには「遊戯的側面」と「競技的側面」がある。
「遊戯的側面」は「楽しい時間を過ごすこと・ゲームを通じて良いコミュニケーションを取ること」で、「競技的側面」は「勝負に勝とうとすること・それによって生じる駆け引きを楽しむこと」である。ボードゲームは「遊戯的側面」が重要視されているが、同時に「競技的側面」も存在している。
「どうやれば相手に勝てるか」「どうすれば高得点を取れるか」、そういった問題に挑戦することは間違いなくボードゲームの面白さの1つであるし、それは「遊戯」よりも「競技」的な面白さと言える。
つまりボードゲームは遊戯的側面が強いが、それでも競技性も有している。そして付け加えて述べるなら昔と比べてボードゲームの競技性は段々と強くなっている。
古い時代のボードゲームは、インタラクションが強く、プレイヤー同士の交流が発生しやすい作りになっていた。その結果、他のプレイヤーによって勝敗が左右されることもあったが、「遊戯的側面」が強くあるこの時代のゲームでは特に問題にはならなかった。
だが時代の流れの中で、他のプレイヤーとの兼ね合いで点数が増減するような作りのゲームは人気を無くしていき、代わりに自分で主体的に戦略を組み立てていくようなゲームが支持を得てきた。
複雑化した現代の重量級ボードゲームの中でプレイヤーは難しい選択を迫られ、どれだけそれに上手く対処できたかを他のプレイヤーと比べて楽しんでいる。またコアなファンは1つのゲームを研究し、定石や新たな戦略を生み出そうとしている。
こういった楽しみ方の変化からボードゲームにおける「競技的側面」は強くなってきていると言えるのではないか。
そしてボードゲームの「競技的側面」が次第に強くなっているのなら、他の競技で当たり前に用いられている「時間をリソースとして扱い、公平に分配する」という考えを取り入れることもおかしなことではない。
ボードゲームを「競技」のように扱うなら、きちんと時間をルールの管理下に置くべきなのだ。
『反論②:遊戯であっても時間は重要な価値を持つ』
1つ目の反論はボードゲームを「競技」と捉えて対局時計の必要性を訴えるものだった。ではボードゲームを「遊戯」と捉えているプレイヤーであれば対局時計の導入はメリットがないのか?いや、その場合でもルールで時間を定義することは意味を持つはずだ。
なぜなら対局時計を導入することで時間を適切に扱うことは、ゲームをより面白いものにする可能性を秘めているからだ。
どんなに優れた面白いとされるゲームでも、過度なダウンタイムなどによってテンポが悪くなってしまえば途端につまらないものになってしまう。逆にあまり面白くないゲームでもサクサクと遊べてしまえばそこまで悪い印象にはならなかったりする。
僕たちはゲームを評するときに「そのゲームが持つ絶対的な価値」に注目しがちだ。面白いつまらないという評価はゲームが持つ価値によって決まるものだと考えている人は多い。しかし実際にはそれを遊んでいるプレイヤーがどのような心持ちで遊んでいるかも非常に重要になってくる。
始めから「つまらなさそう」と思いながらプレイするゲームはつまらなくなりがちだし、「絶対に面白い」と期待してプレイすれば多少の粗も気にならなかったりする。勿論ゲームの出来不出来が一番大きな要素ではある。しかし気の持ちようというのは馬鹿にならない効果があるのも事実だ。
これと似たようなことが「時間」においても言える。対局時計を導入することでプレイヤーは自然とテンポよくプレイする事を心がける。それによってゲーム全体のテンポも向上し、あらゆるゲームがより面白く見えてくるかもしれない。
「遊戯」としてボードゲームを遊ぶ場合でも、「対局時計」の導入はプラスに働く可能性は十分にあるといえるはずだ。
『反論③:気づきと成長の機会を奪っている』
そして3つ目の反論は「ルールと時間の切り離し」によってプレイヤーから気づきと成長の機会を奪ってしまっている点だ。そしてこれが、この記事で僕が最も言及したい部分でもある。
記事の前半で僕はボードゲームにおいて「10秒かけて選んだアクション」と「10分かけて選んだアクション」は等しい価値であると述べた。だがこれは半分は正解であり、半分は間違っている。
確かにゲームという枠の中では2つのアクションの価値は変わらない。だが実際に10分かけてアクションを選ぶなんてことをしたら周りのプレイヤーから顰蹙を買ってしまうだろう。ゲームの中だけで言えば、そのアクションは素晴らしい一手だったかもしれないが、対人関係において言えば悪手である。もしそのようなことをずっと続けるなら、きっとその人はコミュニケーションというゲームの敗北者になる。
これからわかるのはボードゲームにおいて時間は「ルール」で管理されていないが、コミュニティの人間による「不文律」によって管理下にあるのだ。しかしこの体制の問題は、「不文律」による罰はその人によって見えない形で実行されるという点にある。
例えばここに長考しがちのボードゲーマーがいると考えてみよう。
ほとんどの場合、彼に長考しているという自覚は無い。自分が考えている間はそれに手一杯でどれだけの時間が経ったのかを気づくのは難しいからだ。
気づけるとしたら周りの人間であるが、これを本人に伝えることはしないだろう。「ボードゲームは遊戯」であり、良いコミュニケーションを取るのが目的なのだから、わざわざ争いの火種を作ることはしない。誰にも言わずひそかに自分の中にしまいこむ。
勿論本人は長考していることに気づかないので、それを改善しようとはしない。それを繰り返す中で、周りの人間に「あの人は長考がちだ」という共通認識が出来上がる。
これが恐ろしいのは全てが本人の知る由の無い場所で実行されているという点だ。本人は気づく機会すら与えられることがない。
つまりボードゲームの「時間をリソースとして扱わない」「時間の使い方を評価しない」という性質によってプレイヤーは自分がどのように時間を消費しているのか気づくことが出来ない。そして気づくことが出来ないのだから、それを改善することもない。評価がされることが無いから頑張ろうという気すら起きない。
これこそが「ルールと時間の切り離し」によって生じている最も致命的な問題だと僕は考える。
だがこの致命的な問題は「対局時計」によって解決することが出来る。
プレイヤーは思考時間を計ることで自分がどのくらい考えているかを知れる。もしそれが他のプレイヤーより長ければ自分が長考がちだということに気づくことが出来る。そして自分の思考時間が記録として残るため、前回と比べることで成長を実感できる。また早く考える力を身に着ければボーナス得点を受け取れるのであれば、上達しようという意欲が生まれる。
このように「対局時計」によって時間の存在に目を向けさせるだけで、自然と成長のサイクルが出来上がっていく。そしてこれは「長考しがちな人」に対して救済措置の様に働いてくれるはずだ。
加えて述べるなら「コミュニケーション」という観点でもこれはプラスに働く。従来はいくら時間を消費しても罰が無かったため、そういった不満はゲームの外側に引きずられることもあった。だが「消費時間によるボーナスやペナルティのルール」を追加することで、最も長考したものはゲームという枠組みの中でしっかりと罰を受ける。あくまでゲームの中の火種はゲームの中で解決される。絶対にそっちの方が健全だと言えるだろう。
長考している人間に気づきを与えるため、そして「早い思考力」を自然と習得するために、「対局時計」を取り入れてみるのは効果的な手段になるはずだ。
(極端に複雑な現代ボードゲームの例)
【⑧まとめ:時間に目を向けろ!】
さあ、本当に長くなってしまったので話をまとめよう。
そもそも僕は一番初めに「あらゆるボードゲームに対局時計を導入してみないか?」という提案をした。だが実際は、自分で提案しといて悪いのだが、それを実現するのは難しいと思う。
確かに対局時計には色々なメリットがあるのは事実だ。
だがやはり「初心者に優しくない」という問題は解決できてないし、タイマーで時間を管理するには難しいゲームもたくさんある。嫌だという人がいたらそれを強要することは出来ない。
「あらゆるボードゲーム」で対局時計を導入するのはやはり無理なのだ。
だがそれは良い。この記事の本題はそこではない。
僕がこの記事を通して伝えたかったのは「もっと時間に目を向けろ!」ということなのだ。
ボードゲームにおいて時間は軽視されがちで、プレイ中に注目が集まることはあまりない。だが時間は人々が楽しく、そして気持ちよくボードゲームをプレイするために重要な働きを担っている。
現代の重量級ゲームがどんどん複雑さを増し「競技」としての面白さが増えている今だからこそ、僕たちは忘れられがちな時間という存在に今一度目を向けるべきなのかもしれない。
そしてもし見知った仲間同士で、全員が了承するのであれば、1度「対局時計」を用いてボードゲームを遊んでみても良いだろう。
プレイ中、時間という存在に嫌でも目を向けることになるこのハウスルールは、あなたに新しい気づきを与えてくれるかもしれない。
その結果、あなたのボードゲームライフが少しでも良いものになってくれたなら僕はとても嬉しく思う。
それじゃあ長々と、この記事を読んでくれてありがとう。