ボードゲームの妄想書き散らし処

作ったものとかまとめます。

あらゆるボードゲームに対局時計を導入してみないか?

【①はじめに】

ボードゲーマーの皆さん、こんにちは!

 

この記事はBoard Game Design Advent Calendar 2023のために書かれたものである。

adventar.org

 

今回の記事のテーマはボードゲームにおける時間の扱い」についてだ。

 

ゲームをプレイする上で必ず関係のあるもの、しかしあまり注目されることのない「時間」という存在と「ボードゲーム」の関係について自分なりの考察を述べていく。

内容としてはデザインについての細かな部分というよりは、マクロな視点からボードゲームの性質を深掘りしていくつもりだ。そのためゲームデザインとは一見関係ないような話が出てくることがあるが、最終的にはデザインの話に着地するはずである。(多分)

 

またあくまで僕の経験や考えに基づいて話を進めていくため、間違った内容や見当違いの内容を含んでいるかもしれない。それを了承した上で読んで貰えるとありがたい。

 

 

 

と、まあ堅苦しく述べたが、全体的な記事の方針としては分かりやすく、かつ楽しく読めるように配慮するつもりだ。是非ゲームデザインにそこまで興味が無い方も読んでくれると嬉しい。

 

 

さて、では本題に入る前に「楽しく読める」工夫として、とあるエピソードを紹介することから始めたい。なにそこまで珍しい話ではない。どこにでもいるような1人のボードゲーマーのお話である。

 

 

 

【②前置きとしての物語】とある御宅の変則遊戯(ハウスルール)

あるところに「太郎君」という1人のボードゲーマーがいました。

太郎君はボードゲームを遊び始めて今年で5年目。これまで様々なゲームを遊んできて、今はプレイ時間が2時間ほどの重量級ゲームを好んで遊んでいます。

 

とはいえ毎日のようにボードゲームで遊べるほど時間は無く、2週間に1回開催されているクローズ会が数少ない遊ぶ機会でした。

そのクローズ会では太郎君の他にAさん、Bさん、Cさんの3人が参加していて、いくつか重量級ゲームを遊ぶのが恒例になっていました。

 

太郎君にとってボードゲームは楽しいもので、それを遊ぶ機会に恵まれていることにも感謝しています。しかしそれはそれとして、彼には1つ悩みがありました。

 

 

それは「長考」という問題でした。

太郎君が共に遊ぶAさんBさんCさんはどれもじっくり考えるタイプのプレイヤーであり、1つのゲームをプレイするのに膨大な時間がかかっていました。

当初、太郎君はこれを大した問題ではないと思っていました。しかし仕事が忙しくなり、ボードゲームをする機会が減っていくたびに、このことが気になってしょうがなくなってきます。

 

「どうしてインストが必要ない2時間ゲームを2つやるだけで1日が終わってしまうんだ……」、太郎君は深く思い悩むようになっていきました。

 

この問題を解決する手っ取り早い方法は、太郎君が別のコミュニティに移動して、そこでゲームを遊ぶことです。しかし他3人は古くからの付き合いで、互いに関係も良好であったため縁が切れてしまうのは出来れば避けたい。太郎君としては「長考」という問題だけを解決できるならそれがベストだったのです。

 

何日か考えた後、太郎君はこれを解決するアイデアを思いつきました。

そして次のクローズ会、4人が集まった場でそれを披露することにしました。

太郎君は他3人に自分のスマホの画面を見せてこう言いました。

「これはBoard Game Timerというアプリで、プレイヤー毎にどれだけ時間を消費したのかを測定することが出来る。これを使ってこんなハウスルールを取り入れてみないか?

 

プレイヤーはアプリを使ってゲーム中、自分の手番の間にどれだけの時間を消費したのかを計るそれでゲーム終了時、どれだけ時間を消費したかに応じてボーナス得点を得るんだ。例えば手番の時間が最も短かったプレイヤーはボーナスとして全体の点数の5%、つまり総得点100点のゲームなら5点のボーナス得点を得る。逆に手番の時間が最も長かったプレイヤーはペナルティとして5%のマイナス点を喰らう。と、ざっくりこんな感じだ」

 

それを聞いてAさんが質問しました。

「ボーナスが5%というのは少しデカすぎやしないか?1位と4位で10%も差がついてしまったら、それだけで勝負が決まってしまう可能性がある」

 

「それなら5%と言わず、2.5%ずつとかでもいい。%が面倒くさいなら、始めに1位は2VP、4位は-2VPなど規定の得点を決めてしまってもいい」と太郎君は答えます。

 

次に質問したのはBさんでした。

「点数がないタイプのゲームはどうする?勝利条件を満たしたら勝ちといったのゲームだとこのルールは機能しないだろう?」

 

「その場合は都度ゲームによって考えよう。同じラウンドでフラグを切った時のタイブレーク判定が有利になるとかがいいかもしれない」と太郎君は答えます。

 

そして太郎君は一拍おいて、こう続けました。

「まあ細かいことは後々決めよう。ひとまず僕が言いたいことはね、ゲーム中の思考時間を何らかの方法で評価してやろうということなんだ」

 

太郎君の提案にAさんBさんCさんは顔をしかめます。

正直な話、3人はこのハウスルールを導入したくはありませんでした。時間に追われてゲームを行うのは急かされてる気分になるだろうし、存分にゲームを楽しめないと考えたからです。

 

しかし頑なに断るほどでも無かったので、「ひとまず一度試してみるか」という形で、このハウスルールで遊んでみることにしました。

 

 

そうして始まったゲームの序盤、中央に置かれたタイマーのおかげか、スピーディにゲームが進行していきます。これを見て、太郎君は「これで問題は解決だ!」と思いました。

 

しかし実際は太郎君の思うように進むことはありませんでした。

 

問題はゲーム中盤、Aさんの手番で発生します。

この手番でAさんは難しい選択を迫られ、その結果かなり長く考え込んでしまいました。その結果、他3人と比べて多くの時間を消費している状態になります。

他の誰かがよほど長考しない限り、この差を覆すのは不可能の様に思えました。

 

なのでAさんはペナルティを受けることを承知で、いつも通り深く考えてゲームをプレイすることにしました。当然一人だけ消費時間が増えていきます。

 

それを見て反応したのはBさんとCさんです。

現在消費時間争いの4位はAさんで、1位は太郎君です。

BさんとCさんは太郎君がよほど長考しない限り1位を取るのは厳しそうです。

 

そこでBさんとCさんは1位のボーナスを諦め、Aさんの思考時間を超えない程度にゆっくり考えることにしました。

 

これが繰り返し行われることで3人の思考時間はどんどん伸びていきます。

 

その結果、最終的なプレイ時間はハウスルールを導入する前とそう変わらないものになってしまいました。こうして太郎君の試みは失敗に終わったのでした。

 

 

 

【③対局時計を使ってボードゲームをプレイする】

上記の「太郎君のお話」はフィクションだが、このエピソードには色々と考える余地がある。

最も議論するべき点は、太郎君が提案した「対局時計を使ってボードゲームをプレイしよう」というアイデアだろう。この記事を読んでるあなたはこの提案に対してどう思ったか?

 

ABCさんの様に「こんなルールで遊びたくない」と感じただろうか?

逆に「このアイデアに賛成だ!」と思った人もいるかもしれない。

 

だが全体的にみれば、太郎君の提案に反発を覚える者の方が多いはずだ。ボードゲームの最中に時間を計り続けるというのはメジャーではなく、抵抗があるのも頷ける。

それにボードゲームというものをゲームデザイナーという至高の料理人が緻密に作り上げたものと捉えてる方なら、素人の考えたハウスルールを導入するなんてのは緻密なバランスをぶっ壊す、上等な料理にハチミツをぶちまけるかの行為とさえ考えてもおかしくはない。

 

こういった意見や反発があるのはもっともだ。

だが同時に僕はこの「対局時計を用いてボードゲームを遊ぶ」という行為は悪くないと思うし、なんならもっとスタンダードな遊び方になってもいいと思っている。

 

 

そこで記事を読んでくれてるあなたに、僕から1つ提案をしたい。

 

それはタイトルにある通り「あらゆるボードゲームに対局時計を導入してみないか?」というものだ。この提案に対してあなたが今どのような意見を持っているかはひとまず置いておこう。まず僕がこの記事の中で、なぜそう考えているかを解説する。

 

またその過程で現代の「ボードゲーム」と「時間」の関係についての考察も行っていく。あなたはそれを読み終わった後で、この提案を受け入れるか、拒否するかを決めて欲しい。

 

それじゃあ、ようやく本題に入ろう。

(リアルタイムゲーム①)

 

【④時間の扱い:ボードゲーム以外の場合】

まず「ボードゲームに対局時計を取り入れる」とはどのような効果を狙ったものなのかを考えてみる。「太郎君のハウスルール」では各々が手番で消費した時間を測定し、それによってボーナスやペナルティを与えていた。

 

これは即ち「時間をゲームのルールに組み込む」ことを意味している。

 

通常ほとんどボードゲームでは時間に関するルールは明確に決められておらず、プレイヤー同士の裁量に任されている。今回のハウスルールではそこをプレイヤーの裁量ではなく、ルールできちんと線引きしようという試みだ。

 

だがこの試み、「時間をルールに組み込む」という行為は、ボードゲームではあまり見られないことだが、その考え自体はそう珍しいことではない。

その根拠としてボードゲーム以外の「ゲーム」で時間がどのような扱いをされているかを簡単に見ていくことにする。

 

 

まず挙げたいのは「将棋・囲碁・チェス」である。

これらはボードゲームの一種であるが、今回議題に上がっている「対局時計」が元々これらのゲームで用いられるものである為、最初に取り上げることにする。

 

これらのゲームは2人用で、それぞれのプレイヤーには持ち時間が与えられ、これは対局時計によって管理される。プレイヤーが自分の手番の間、持ち時間は減少していき、これを消費した者は1手番を非常に短い時間で終わらせなくてはならなくなる。

 

この「対局時計」のルールは「思考時間も1つのリソースである」という考えに基づいている。例えば技術的に未熟なプレイヤーであっても、時間を消費すれば熟練したプレイヤーのような手を考え付くかもしれない。だがそれだけでは「強いプレイヤー」とはみなされないだろう。

これらのゲームにおける「強さ」とは勿論良い手にたどり着く思考力も重要だが、限られた時間をどう消費するかも求められているからだ。早く考えることは立派な能力なのである。

 

このように「将棋・囲碁・チェス」などでは「対局時計」を導入することで時間をルールの支配下に置き、それをどう扱うかがゲームの戦略や勝敗に影響を与えている。

 

 

次に取り上げたいのは「スポーツ」だ。

スポーツは自分の肉体を使用するという点で大きく異なるが、ルールがありプレイヤーがその中で対戦するという部分に注目すればゲームの一種と言えるだろう。

 

数あるスポーツの中で分かりやすく「時間」に着目したものと言えば、「サッカー」や「バスケットボール」といった試合時間が決められているタイプのものだろう。

これらのゲームでは事前に「これが何分間のゲームか」が明示され、それが尽きることでゲームが終了する。また時間に関するルールはそれだけでなく、「特定の状況になったら時間のカウントを止める」といったルールも詳細に決められている。

 

こういった時間のルールはチームや選手の意識に影響を与える。

同じスコアであっても、残り時間が十分にあるのか、ほとんど時間が残されていないのかで戦略は大きく変わるはずだ。これも「将棋・囲碁・チェス」のように時間にどう向き合うかがゲームの一部を担っていると言えよう。

 

では試合時間が決められていないスポーツ、「野球」や「テニス」といったラウンド式や規定得点を取ったら終わりといったものはどうだろうか?こういったスポーツでは時間は無視されてるのかと問われれば、全くそうではない。

こういったスポーツにおいても明確な遅延行為、例えば疲れを取るために一向にプレイを行わないといったことがあれば反則として罰せられる。ただこの部分については明確なルールがあるわけではない(と思う)。「プレイを3分以上遅延させたら罰則」などそういった決まりは明確にあるわけではない。

 

この問題を解決するのは「審判」の存在である。

「審判」はルールが具現化したような存在であり、ルールで明確に定められてはいないが際どい行為については審判が判断を行う。先に例に挙げた明確な遅延行為などは審判がそう判断すれば反則になる。

このような「審判」や「試合時間」という概念が存在することによって、スポーツにおいても時間はルールの管理下に置かれているのである。

 

 

最後に言及したいのはデジタルゲームだ。

これは上記2つのゲームと比べても「時間」を管理することに長けている。

 

そもそもデジタルゲームで人気のアクションやシューティングというジャンルで時間が非常に重要な役割を担っているというのはある。これらのゲームは基本的にリアルタイムで進行するし、限られた時間の中で的確な判断を求められる。

 

だが僕が言いたいのは、そういったゲーム性とは関係なしに、やはりデジタルゲームでは時間に関するルールが定められていることが多いのだ。

 

例えば格闘ゲームでは「相手のHPを削る」のが目的であるが、同時に1ラウンドで〇〇秒といった時間制限が設けられている。

デジタルカードゲーム(DCG)では1ターンの長さが定められており、プレイヤーはこれを消費しきると自動的にターンが終了してしまう。このルールは操作が忙しいタイプのデッキ(無限ループを目指すコンボデッキなど)に対して制約を与え、ゲーム性にも影響を与えている。

 

むしろデジタルゲームにおいて時間に関するルールが定められていないものというと、RPGやパズル系といった1人で遊ぶタイプのゲームくらいではないだろうか。

 

ほとんどのデジタルゲーム、特にプレイヤー間で対戦要素のあるもの(更に言うならオンライン要素があるもの)は高い確率で時間に関する制約やルールがある。これはあまりに当たり前すぎて言及するほどが無いほどだ。もし対戦要素のあるデジタルゲームを作る上で時間に関するルールを一切取り入れないとしたら、それは何かよっぽどの理由がある場合だろう。

 

 

と、ここまで「将棋・囲碁・チェス」「スポーツ」「デジタルゲーム」という3種のゲームにおいて「時間」がどのように扱われているかを見てきた。これらに共通しているのは、どれも時間をルールの中に取り込もうとしている点だ。プレイヤーはゲーム開始前に時間に関する明確なルールを知ることが出来るし、時間の存在がゲームの勝敗や体験に影響を与えている。

 

これを見ると「太郎君のハウスルール」が提唱している「時間をゲームのルールに組み込むこと」はむしろありふれた考えであり、それ自体がそこまで的外れな意見ではないと言えるはずだ。

 

(リアルタイムゲーム②)

 

【⑤時間の扱い:ボードゲームの場合】

では次にボードゲームにおいて「時間」がどのように扱われているか見ていこう。

 

ボードゲームにおいて「時間」の扱われ方は先の3種のゲームと対照的だ。なぜならほとんどのボードゲームでは時間に関するルールが定められていない。かの有名な「カタン」や「ドミニオン」、その他モダンな戦略的ボードゲームのルールブックには「時間」に関する記述は一切見られない。時間の取り扱いはルールではなく、それを遊ぶプレイヤー達に任されている。

 

つまりこれはボードゲームという枠組みの中では、時間はリソースでなく、その使い方は評価されないことを意味している

例えばこれは極端な例ではあるが、全く同じ局面で「10秒かけて選んだアクション」と「10分かけて選んだアクション」があるとする。先に挙げた「将棋・囲碁・チェス」などではこの時点で大きな差が生まれている。

しかしボードゲームのルールの中ではこの2つの価値は等しい。いやそれどころか、後者の方が得点が伸びるのであればゲームはそちらの方が良い手だと評価する。

 

ボードゲームはプレイヤーが限られたリソースの中でどれだけ適切なアクションを打てたかを「得点」という形で評価してくれる。しかし「時間」がリソースとして扱われていないため、ゲームはそれをどう使おうと評価をしてくれない。これは他のゲームと比べてもとても奇妙だ。

 

そしてここまでの話を聞いてボードゲームにも時間に関するルールが決められているものはある!」と主張するものがいるかもしれない。確かにボードゲームにも時間に関するルールが定められているものはある。それは「リアルタイムゲーム」と呼ばれ1つのジャンルを築いていることは事実だ。

 

だが僕はこの「リアルタイムゲーム」という言葉自体が、ボードゲームにおける「時間」の扱いを端的に表しているのだと考える。

つまり「時間に関するルールの有無」でジャンルが区別されてしまうのは、普通のボードゲームにおいては「時間に関するルールが無いこと」の証明だ。もしボードゲームでルールに関する時間を取り入れることが普通なら、わざわざジャンル分けをする必要もない。

 

例えばスポーツにおいて試合時間が決まっているものを「リアルタイムスポーツ」と呼ぶことは無い。デジタルゲームでも対戦ゲームに時間制限があるのは当たり前なのでそこでジャンルを分けることはない。DCGで1ターンに制限時間があるからざわざ「リアルタイムカードゲーム」なんて呼んだりはしない。

 

これは些か乱暴な論理ではあるが、そこまで的外れな指摘でもあるまい。

 

思うにゲームにとって一番重要なものはルールである。

ボードやコマはそれだけではただの物質であり、何一つ価値を持たない。

それに意味を与えるのはルールだ。プレイヤーにルールを与え、プレイヤーがそれを守ることで初めてボードやコマに意味が生まれ、ゲームが出来上がる。

言わばゲームにとってルールとは命を与える心臓なのだ。

 

 

しかしボードゲームにおいて心臓ともいえるルールの中に「時間」の居場所は無い。プレイ中、確かに「時間」は僕たちの周りに存在しているのに、ルールはそれを無いものかのように扱っている。

 

いやそれどころか、プレイヤーである僕たちも時間から目を背けようとしているようだ。「対局時計を用いる」という提案に対して自然と反発を覚えたように、僕たちは時間という存在がボードゲームの表舞台に立つことを拒む。そしてゲームデザイナーたちも、その意図を汲むかのように、プレイヤーに時間を意識させないようなゲームをデザインする。

 

そう考えると、これはまるで共犯関係のようである。

 

「ルール」は時間の存在を認めず、「プレイヤー」は時間から目を背け、「デザイナー」は時間を隠そうとする。

 

こうした3者によって、ボードゲームのルールと時間は切り離されている。

 

 

【⑥ルールと時間が切り離された3つの要因】

では何故ボードゲームはこのように「時間」を扱うようになったのか?

僕はこれには大きく3つの要因があると考えている。

この項ではそれを解説することで、ボードゲームの抱える背景にあるものを明らかにしていこう。

 

『要因①:ボードゲームは競技ではなく、遊戯である』

 

一つ目の要因はボードゲームは競技ではなく、遊戯である」ということだ。

 

まず先に挙げた時間に関するルールが定められている3種のゲームは、どれも競技性が高いという特徴がある。ここでいう「競技性」とは「ゲームの勝敗をどれくらい重要視しているのか」といったことを意味している。

競技性の高いゲームでは、プレイヤーは何よりも勝つことを目指す。そしてその過程で自然と発生する相手との駆け引き、勝敗によって生じる感情の揺れ動き、そういったものが面白さの根源にあるゲームだ。

 

そして「競技性の高いゲーム」で重要なのがプレイヤー同士が公平であることだ。何かしらの要因で不公平さが生じ、それのせいで勝敗が決まってしまうのなら、プレイヤーは興ざめしてしまう。これを防ぐために細かななルールが必要になるのである。

時間という目には見えない領域に関してルールを制定するのも、プレイヤーに公平だと思わせるためだと言えるだろう。

 

 

しかし対してボードゲームはどうだ?

 

確かにボードゲームにも勝敗は存在するが、それに強い比重が置かれている訳ではない。ボードゲームで重要視されるのは「勝敗」よりも「その場の全員が楽しい時間を過ごせること」である。1つの卓を囲んで、顔を合わせながらゲームを行う。

それによって自然とコミュニケーションが生まれる。ボードゲームではそういった時間や空間を何より大切にしているし、プレイヤーもそれを望んでいる。

 

これはつまりボードゲームは競技と言うよりも、遊戯であることを意味している。

 

そして目的が「良きコミュニケーションを取ること」であれば、競技性の高いゲームで求められる「公平さ」は重要ではない。わざわざ時間に関するルールを作らなくても問題ないのだ。それどころか、時間に関するルールを制定してしまうと、プレイヤーは常に時間を意識してしまい卓全体に緊張したムードが漂ってしまう。

 

これは「良いコミュニケーションを取る」上で妨げになるかもしれない。

だからこそ多くのボードゲームで、ルールは時間について言及しないのだ。

(先に述べた「将棋」や「スポーツ」においても競技性を重視せず、ただ友達同士で楽しく遊ぶことを目的とするなら、時間に関するルールが制定されることもない)

 

 

また「プレイヤー」が「対局時計を導入する」といった提案に対して反発を覚えるのは、この「良いコミュニケーションを取る」という要素が大きく関係している。勿論プレイヤー自身が時間を気にして窮屈にプレイをしたくないという理由もあるだろうが、同時にコミュニティに火種を作りたくないという気持ちもあるはずだ。

 

コミュニティで時間について言及する事、つまり長考について苦言を呈したり対局時計を導入しようと提案することは、そのコミュニティで最も長く考える者への攻撃だと捉えられるかもしれない。

また自分がそういった状況に不満を持っていることを大声でアピールするようなものだ。実際その人に特定の個人を攻撃する意図がなくてもコミュニティを分断する争いの種を生んでしまうかもしれない。

だとすれば現状維持のために時間から目を背けるというのは合理的な判断である。

 

 

『要因②:ボードゲームで時間を管理することの難しさ』

2つ目の要因は、ボードゲームで時間を管理することが難しいことが挙げられる。

 

対戦型デジタルゲームにおいて時間に関するルールが整備されているのは、デジタルと言う性質が、時間をゲームの中に取り込むのに相性が良いからというのも理由の1つだろう。だが対照的にボードゲームで時間をキッチリ管理させるのは難しい。

 

一応「対局時計」のようなものを用いたり、タイマーを利用することで「時間」をゲームの中に取り込むことは出来る。しかしせっかくボードゲームが電源を使わないものとルールで構築されているのに電子機器で時間を管理するというのは、世界を壊されたかのようで興ざめする人もいるだろう。

 

ではアナログ的な方法で時間を管理しようとするなら「砂時計」を用いることになるが、これも万能ではなくデジタルタイマーほど便利なものではない。また必要なコンポーネントかと問われれば疑問だし、そのせいで制作費が増えるとすれば導入はしたくない。

 

また「スポーツ」で導入されている「審判」のような存在を取り入れることも難しい。ボードゲームは遊戯で、参加するプレイヤーが全てゲームに参加している。この状況では誰かしらが判断をするとなれば、ゲーム的な思惑が入ってしまい公平な判断はなされない(これはプレイヤー間で投票を行うタイプのゲームで発生しうる問題でもある)

 

審判を導入するなら、ゲームに参加しておらず適切な判断を行える人物を用意せねばならない。そんな人をゲームの度に用意するのは現実的ではない。もしボードゲームにおいてゲームに参加していない外部の人間が、外から判定を行う事象があるとするなら、それは「審判」ではなく多分「ゲーム外から勝手に口出しする激ヤバおじさん」だ。

 

と、このようにアナログという性質が「時間を管理する事」と相性が良くないのも要因の1つと言える。

 

 

『要因③:より初心者に厳しいゲームになる』

3つ目の要因はリアルタイムという要素が初心者に優しくないという点だ。

 

どんなゲームも初めてプレイする人間は不利だ。

とはいえこれはボードゲームに限った話ではなく、このこと自体は問題ではない。だが何事も限度がある。あまりに初心者に厳しいゲームは初めてのプレイで酷い体験をして2度とゲームをプレイしないことさえありえる。

 

そして時間に制限を与えるというルールは初心者に厳しく、そのような状況が起こる可能性を高める。

例えばとある局面で経験者は過去の経験から定石のようなものを学んでおり、特に時間を消費せずプレイを行うことが出来る。ただ初心者は何も分からない状況でこの問題に立ち向かわなくてはならない。

これは解決すること自体も困難であるが、消費する時間という点でも不利である。

 

そういった戦略的な話ではなく、もっと基本的な、例えばカードテキストがあるタイプのゲームで初心者はそれをいちいち読んで効果を理解せねばならないが、経験者はイラストを見るだけで何のカードか知ることが出来るだろう。

 

これらの事象は時間がルールに組み込まれていないのなら問題にはならない。時間はかかるが初心者がテキストを読む時間を取ればいいだけだ。だがリアルタイムゲームであるなら足かせになる。プレイヤーを公平にするためハウスルールを取り入れようとしたのに、別の不公平を生み出してしまっているのだ。

 

 

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さて、ここまでボードゲームがルールと時間を切り離すことになった3つの要因について見てきた。この3つの中で重要度が最も高いのは「ボードゲームは競技でなく、遊戯である」という要因だと僕は考えている。

 

ボードゲームは人と顔を合わせて行うゲームだ。そのため遊ぶ上で他人とのコミュニケーションの存在は決して無視できない。ボードゲームは楽しい時間を過ごすための遊戯である。

 

これらの主張は力強く、正しいことは間違いない。

だがこの「ボードゲームは遊戯だ」という主張の心地よさにかまけて別の問題から目を背けてはないだろうか?

 

確かに「対局時計」を導入するという提案に問題点があることは認めよう。

 

しかし同時に「ルールと時間の切り離し」によって別の重要な問題が生じていることを僕は指摘したい。「結局プレイする環境によるのだから、その人たちの裁量に任せよう」、これも正しい意見だがそこで思考を止めてしまえば奥に隠れた問題は一向に解決しない。

 

それを証明するため、ここからは上記の要因に「反論」する形で「ルールと時間の切り離し」によって生じた問題点を指摘していくことにする。

 

(反射神経を問うゲームも一種のリアルタイムゲームだ)

 

【⑦ルールと時間の切り離しによって生じた問題点】

 

『反論①:ボードゲームは競技ではないという幻想』

ボードゲームは遊戯である」という主張は正しい。だがそれは「ボードゲームに競技でない」ことを示しているわけではない。

 

思うにゲームには「遊戯的側面」と「競技的側面」がある。

 

「遊戯的側面」は「楽しい時間を過ごすこと・ゲームを通じて良いコミュニケーションを取ること」で、「競技的側面」は「勝負に勝とうとすること・それによって生じる駆け引きを楽しむこと」である。ボードゲームは「遊戯的側面」が重要視されているが、同時に「競技的側面」も存在している。

 

「どうやれば相手に勝てるか」「どうすれば高得点を取れるか」、そういった問題に挑戦することは間違いなくボードゲームの面白さの1つであるし、それは「遊戯」よりも「競技」的な面白さと言える。

 

つまりボードゲームは遊戯的側面が強いが、それでも競技性も有している。そして付け加えて述べるなら昔と比べてボードゲームの競技性は段々と強くなっている。

 

古い時代のボードゲームは、インタラクションが強く、プレイヤー同士の交流が発生しやすい作りになっていた。その結果、他のプレイヤーによって勝敗が左右されることもあったが、「遊戯的側面」が強くあるこの時代のゲームでは特に問題にはならなかった。

 

だが時代の流れの中で、他のプレイヤーとの兼ね合いで点数が増減するような作りのゲームは人気を無くしていき、代わりに自分で主体的に戦略を組み立てていくようなゲームが支持を得てきた。

複雑化した現代の重量級ボードゲームの中でプレイヤーは難しい選択を迫られ、どれだけそれに上手く対処できたかを他のプレイヤーと比べて楽しんでいる。またコアなファンは1つのゲームを研究し、定石や新たな戦略を生み出そうとしている。

 

こういった楽しみ方の変化からボードゲームにおける「競技的側面」は強くなってきていると言えるのではないか。

 

そしてボードゲームの「競技的側面」が次第に強くなっているのなら、他の競技で当たり前に用いられている「時間をリソースとして扱い、公平に分配する」という考えを取り入れることもおかしなことではない。

 

ボードゲームを「競技」のように扱うなら、きちんと時間をルールの管理下に置くべきなのだ。

 

 

 

『反論②:遊戯であっても時間は重要な価値を持つ』

1つ目の反論はボードゲームを「競技」と捉えて対局時計の必要性を訴えるものだった。ではボードゲームを「遊戯」と捉えているプレイヤーであれば対局時計の導入はメリットがないのか?いや、その場合でもルールで時間を定義することは意味を持つはずだ。

 

なぜなら対局時計を導入することで時間を適切に扱うことは、ゲームをより面白いものにする可能性を秘めているからだ。

 

どんなに優れた面白いとされるゲームでも、過度なダウンタイムなどによってテンポが悪くなってしまえば途端につまらないものになってしまう。逆にあまり面白くないゲームでもサクサクと遊べてしまえばそこまで悪い印象にはならなかったりする。

 

僕たちはゲームを評するときに「そのゲームが持つ絶対的な価値」に注目しがちだ。面白いつまらないという評価はゲームが持つ価値によって決まるものだと考えている人は多い。しかし実際にはそれを遊んでいるプレイヤーがどのような心持ちで遊んでいるかも非常に重要になってくる。

 

始めから「つまらなさそう」と思いながらプレイするゲームはつまらなくなりがちだし、「絶対に面白い」と期待してプレイすれば多少の粗も気にならなかったりする。勿論ゲームの出来不出来が一番大きな要素ではある。しかし気の持ちようというのは馬鹿にならない効果があるのも事実だ。

 

これと似たようなことが「時間」においても言える。対局時計を導入することでプレイヤーは自然とテンポよくプレイする事を心がける。それによってゲーム全体のテンポも向上し、あらゆるゲームがより面白く見えてくるかもしれない。

 

「遊戯」としてボードゲームを遊ぶ場合でも、「対局時計」の導入はプラスに働く可能性は十分にあるといえるはずだ。

 

 

『反論③:気づきと成長の機会を奪っている』

そして3つ目の反論は「ルールと時間の切り離し」によってプレイヤーから気づきと成長の機会を奪ってしまっている点だ。そしてこれが、この記事で僕が最も言及したい部分でもある。

 

記事の前半で僕はボードゲームにおいて「10秒かけて選んだアクション」と「10分かけて選んだアクション」は等しい価値であると述べた。だがこれは半分は正解であり、半分は間違っている。

 

確かにゲームという枠の中では2つのアクションの価値は変わらない。だが実際に10分かけてアクションを選ぶなんてことをしたら周りのプレイヤーから顰蹙を買ってしまうだろう。ゲームの中だけで言えば、そのアクションは素晴らしい一手だったかもしれないが、対人関係において言えば悪手である。もしそのようなことをずっと続けるなら、きっとその人はコミュニケーションというゲームの敗北者になる。

 

 

これからわかるのはボードゲームにおいて時間は「ルール」で管理されていないが、コミュニティの人間による「不文律」によって管理下にあるのだ。しかしこの体制の問題は、「不文律」による罰はその人によって見えない形で実行されるという点にある。

 

例えばここに長考しがちのボードゲーマーがいると考えてみよう。

ほとんどの場合、彼に長考しているという自覚は無い。自分が考えている間はそれに手一杯でどれだけの時間が経ったのかを気づくのは難しいからだ。

 

気づけるとしたら周りの人間であるが、これを本人に伝えることはしないだろう。「ボードゲームは遊戯」であり、良いコミュニケーションを取るのが目的なのだから、わざわざ争いの火種を作ることはしない。誰にも言わずひそかに自分の中にしまいこむ。

 

勿論本人は長考していることに気づかないので、それを改善しようとはしない。それを繰り返す中で、周りの人間に「あの人は長考がちだ」という共通認識が出来上がる。

これが恐ろしいのは全てが本人の知る由の無い場所で実行されているという点だ。本人は気づく機会すら与えられることがない。

 

つまりボードゲームの「時間をリソースとして扱わない」「時間の使い方を評価しない」という性質によってプレイヤーは自分がどのように時間を消費しているのか気づくことが出来ない。そして気づくことが出来ないのだから、それを改善することもない。評価がされることが無いから頑張ろうという気すら起きない。

 

これこそが「ルールと時間の切り離し」によって生じている最も致命的な問題だと僕は考える。

 

だがこの致命的な問題は「対局時計」によって解決することが出来る。

 

プレイヤーは思考時間を計ることで自分がどのくらい考えているかを知れる。もしそれが他のプレイヤーより長ければ自分が長考がちだということに気づくことが出来る。そして自分の思考時間が記録として残るため、前回と比べることで成長を実感できる。また早く考える力を身に着ければボーナス得点を受け取れるのであれば、上達しようという意欲が生まれる。

 

このように「対局時計」によって時間の存在に目を向けさせるだけで、自然と成長のサイクルが出来上がっていく。そしてこれは「長考しがちな人」に対して救済措置の様に働いてくれるはずだ。

 

加えて述べるなら「コミュニケーション」という観点でもこれはプラスに働く。従来はいくら時間を消費しても罰が無かったため、そういった不満はゲームの外側に引きずられることもあった。だが「消費時間によるボーナスやペナルティのルール」を追加することで、最も長考したものはゲームという枠組みの中でしっかりと罰を受ける。あくまでゲームの中の火種はゲームの中で解決される。絶対にそっちの方が健全だと言えるだろう。

 

 

長考している人間に気づきを与えるため、そして「早い思考力」を自然と習得するために、「対局時計」を取り入れてみるのは効果的な手段になるはずだ。

 

(極端に複雑な現代ボードゲームの例)

 

 

【⑧まとめ:時間に目を向けろ!】

さあ、本当に長くなってしまったので話をまとめよう。

 

そもそも僕は一番初めに「あらゆるボードゲームに対局時計を導入してみないか?」という提案をした。だが実際は、自分で提案しといて悪いのだが、それを実現するのは難しいと思う。

 

確かに対局時計には色々なメリットがあるのは事実だ。

 

だがやはり「初心者に優しくない」という問題は解決できてないし、タイマーで時間を管理するには難しいゲームもたくさんある。嫌だという人がいたらそれを強要することは出来ない。

「あらゆるボードゲーム」で対局時計を導入するのはやはり無理なのだ。

 

だがそれは良い。この記事の本題はそこではない。

 

 

僕がこの記事を通して伝えたかったのは「もっと時間に目を向けろ!」ということなのだ。

 

ボードゲームにおいて時間は軽視されがちで、プレイ中に注目が集まることはあまりない。だが時間は人々が楽しく、そして気持ちよくボードゲームをプレイするために重要な働きを担っている。

 

現代の重量級ゲームがどんどん複雑さを増し「競技」としての面白さが増えている今だからこそ、僕たちは忘れられがちな時間という存在に今一度目を向けるべきなのかもしれない。

 

そしてもし見知った仲間同士で、全員が了承するのであれば、1度「対局時計」を用いてボードゲームを遊んでみても良いだろう

プレイ中、時間という存在に嫌でも目を向けることになるこのハウスルールは、あなたに新しい気づきを与えてくれるかもしれない。

 

その結果、あなたのボードゲームライフが少しでも良いものになってくれたなら僕はとても嬉しく思う。

 

それじゃあ長々と、この記事を読んでくれてありがとう。

【ハイスコアラー1986:デザイナーズノート】

【①はじめに】

この記事はボードゲーム大祭2023にて発売される新作ボードゲーム『ハイスコアラー1986の作者が、なぜこのようなゲームを作ったのかを自分で解説する記事だ。

 

『ハイスコアラー1986』がどのようなゲームかはこちらの記事で詳しく解説している。出来ればこちらを先に読んで貰えるとこの記事が理解しやすいかと思う。

megalomaniac-game.hateblo.jp

 

ただ出来る限りこの記事では制作話だけでなく、既存のゲームに対する作者の考察や分析を多く書くつもりである。そのため作品にあまり興味が無い人でも、何かと楽しめる部分があるかもしれない。(特に前半部分は既存の作品の分析がメインである)

そこまで言うならとりあえず読むか……となってくれれば作者としてはとても嬉しい。

では前置きはこのくらいにして早速本題に入ろう。

 

 

今作『ハイスコアラー1986』は少し変わった構造の多人数ゲームである、

「スコアラー」と呼ばれるプレイヤーが1人いて、ダイスとカードを用いたソロゲーに挑戦する。他のプレイヤーは全て「観客」という立場を担当し、「スコアラー」のゲームを観戦しながら別のゲームを行う。

これは1つのゲームの外側に別のゲームがある、所謂「メタ構造」のような作りになっている。今作がこのような面倒くさい作りになっているのはただ「奇をてらった」わけではない。僕としては明確な理由があって、このような構造のゲームを制作した。

 

では何故こんなゲームが出来上がったか、それに至る道筋を明らかにするのがこの記事の目的である。そのためにまず今作を制作するきっかけになった「お題」の話からすることにしよう。

 

【②今作のお題:多人数ゲーム】

僕は今までMegalomaniac Gameというサークルでいくつかの同人ゲームを制作した。その中で意識しているのは制作する前に「お題」を設定することである。

これは「推理ゲーム」や「トリテ」などジャンルを定義するもの、もしくは「作品のコンセプト」のようなものだと捉えて貰って構わない。

僕は基本的にこれを先に決めて、そこからゲームを作る。

このような制約を先に決めてゲームを制作するのは、そういった縛りがある方がアイデアが出るような気がするし、何より自分の決めた「お題」に沿った作品を考えること自体がゲームの様で楽しいからだ。(料理バトル漫画のような気持ちでゲーム制作を行える!)

 

 

そして今回決めた「お題」が「多人数ゲーム」だった。

 

「多人数ゲーム」とは、明確な定義があるわけではないが、「6人以上で遊べるゲーム」を指す意味で用いられることが多い。有名なもので古いものだと人狼、それなりに新しいものだと『Welcome to……』などが挙げられる。

僕が今回のお題を「多人数ゲーム」に設定したのは強い理由があるわけではない。

ただ偶然その手のゲームを遊ぶことが続いて、その中で「多人数ゲーム」の魅力と課題について自分の中で考えがまとまってきたからだ。

そういった経緯があり、ひとまず僕は「多人数ゲームの魅力を保持したまま、それが抱える問題点を解決すること」をお題に設定し、制作を始めた。

 

【③多人数ゲームの魅力と問題】

そもそも「多人数ゲーム」の魅力とは何だろうか?

 

「ワカプレ」や「デッキビルディング」のようなメカニクスであれば、その特徴や魅力が何かを説明するのは比較的簡単だ。しかし「多人数ゲーム」とはあくまでプレイ人数を指す言葉であって、それぞれのゲームにおいてシステムやゲーム性に共通点は少ない。

そのため「多人数ゲーム」全てに共通する魅力を見出すのは難しい。

 

だがそういった前提を踏まえた上で、「多人数ゲーム」特有の魅力について考えるなら、僕は「大人数で1つの事をするという非日常感」にあると思う。

 

「多人数ゲーム」では1つの空間に大人数が密集して集まり、全員で1つのゲームを遊ぶことになるが、そもそもこのシチュエーション自体がレアなものだと感じる。

日常生活の中で6人を超える大人数で何か1つの遊びをするというのはそうそうあるものではない。スポーツはその側面があるが、これは広いスペースを必要とするし、デジタルゲームでこれを実現しようとすると基本的にオンライン環境でこれを行うことになる。

そう考えてみると、それぞれのプレイヤーが顔を認識できるくらいの距離感で集まり、1つの遊びをするという状況は中々無い。つまり「多人数ゲーム」には「非日常感」がある。普段ではなかなか味わえない状況の中でゲームをする、これは何故か自然と気持ちを高揚させ、凄いことが始まるのではないかと期待をさせてくれる。

 

「リアルで、沢山の人が集まり、同じことをする」、それ自体にパワーや面白さがあり、「多人数ゲーム」特有の魅力だと僕は考える。何だかとても感覚的な話で申し訳ないが、あながち見当はずれというわけでもないはずだ。

 

 

しかし魅力と対照的に「多人数ゲーム」には様々な問題があるのも事実だ。

いくつか具体例を挙げるなら、まず「ダウンタイム」がある。

ダウンタイムとは言わば手番外の待ち時間のことで、古いタイプの多人数ゲームではよくこれが問題になる。

例えばプレイ人数3人、プレイ時間30分のゲームがあるとすれば単純計算でプレイヤー1人につき10分の持ち時間がある。しかしこれがプレイ人数10人、プレイ時間30分のゲームだとすれば、プレイヤー1人の持ち時間は3分しかなく、ほとんどをダウンタイムに費やすことになる。

これは極端な例だが、ゲーム中の悩ましさとプレイ時間のバランスが悪い「多人数ゲーム」はよく見られる。これは間違いなく「多人数ゲーム」の問題点という事が出来るだろう。

 

 

そしてもう1つは「調整の難しさ」だ。

例えばゲームに「早い者勝ちの目標」の要素を入れようとする。

 

これは「一番早く条件を満たしたものがより多く点数を貰える」といったものを指す。例えばこれを3人用ゲームで導入したなら、1/3のプレイヤーがその恩恵をうけることが出来る。これは実現可能な目標であり、プレイヤーも達成を目指そうとするはずだ。

 

しかし同じ要素を10人用ゲームに取り入れたならどうだろう?

この恩恵を受けれるのは1/10のプレイヤーのみだ。それを達成する難易度も高いものになっていて、ほとんどのゲームでプレイヤーは恩恵を受けることが出来ない。これでは積極的に達成を目指そうとする気もなくなってしまう。

これは「多人数ゲーム」と「早い者勝ちの目標」というメカニクスの相性が悪いことを意味している。こういった相性の悪いメカニクスが多くあるのも「多人数ゲーム」の問題だと言える。

 

 

そして「調整の難しさ」という点でもう1つ指摘するなら「人数によってゲーム性が大きく変化してしまう」こともあげられる。

 

例えば有名な「ニムト」では2~10人でプレイすることが出来るが、プレイ人数によってプレイ感が大きく異なる。5~6人程度であればある程度他のプレイヤーの意思を推測が出来、選択に悩ましさが生まれる。

しかしこれを10人でプレイしたなら、他人の動向を推測するのは困難で、酷く場当たり的なプレイ感になる。このパーティーゲームっぽさを良しとする者もいるかもしれないが、それはそれとしてプレイ人数で体験が大きく変化してしまうのはあまり望ましくない。結局最適な人数でしかプレイされないのなら、多くの人数でプレイ可能という「多人数ゲーム」の特徴を潰してしまうことになる。

 

 

……と、このようにパッと思いつくだけでもこれだけの問題点があり「多人数ゲーム」を成立させることの難しさがうかがえる。僕はこれらを踏まえて、「多人数ゲーム」に様々な問題が発生するのは、それが「インタラクション」と相性が悪いという特徴があるからだと考えている。

 

「インタラクション」とはプレイヤーの選択が他のプレイヤーにどれほど影響を与えるかを意味する言葉であり、ほとんどのボードゲームでは多かれ少なかれ、このインタラクションが存在する。

しかし「多人数ゲーム」はこの「インタラクション」と相性が悪い。

例に出した「早い者勝ちの目標」はプレイヤー同士の速さを競わせる要素であるし、ニムトでは他人や自分の出したカードによって結果が決定する。どちらも「インタラクション」が強いもので、そのために問題が発生していると言えそうだ。

 

このように「多人数ゲーム」に強い「インタラクション」を取り入れようとすると様々な問題が発生する。だがこれはよく考えれば当たり前のことである。

例えば3人用ゲームなら他2人の動向に目を向けるだけで良いが、10人用ゲームなら他9人のプレイヤー全てが与える影響を考慮せねばならない。これは多分不可能であるし、成し遂げたとしても長く時間を費やしてしまう。

 

「多人数ゲーム」の問題を解決するためには、「インタラクション」を弱くすることが不可欠だと言えるだろう。

 

 

【④ソロプレイ型多人数ゲーム】

そしてこの問題を解決した「多人数ゲーム」が「ソロプレイ型多人数ゲーム」だ。

(この名称は僕が勝手にそう読んでいるだけで一般的なものではない)

 

これは「インタラクションを極限まで無くし、全員がソロプレイのゲームを同時に行うようなゲーム」のことを指している。具体的な作品だと『Welcome to……』などが挙げられる。ここでは『Welcom to……』を例にして「ソロプレイ型多人数ゲーム」の解説を行うことにする。

 



『Welcome to……』は都市開発をテーマにした紙ペンゲームである。

特筆すべきはプレイ人数。箱には1~100人までと記載されており、実質何人でも遊ぶことが可能だ。

ゲームの流れはラウンド毎に3つの選択肢が提示され、プレイヤーは各々好きなものを1つ選び、それに応じて自分のプレイシートに書き込みを行う。

この処理は全員同時に行われ、他人と選択が被ったりしても何ら問題が無い。

全員がシートへの書き込みを終えたなら、次のラウンドに進み、また終了条件を満たすまでこれを繰り返す。最終的に最も得点を得たプレイヤーが勝利するという流れだ。

 

 

『Welcome to……』が特徴的なのは「インタラクション」を極力なくし、全員同時に手番を行う点である。基本的に他のプレイヤーが何を選んだのかは自分に関与しないので、プレイヤーは他人の動向を気にすることなく如何に点数を伸ばしていくかに挑戦していく。これはまるでソロプレイのゲームを全員同時にプレイしているかのような構造だ。(一応Welcom to……には共通目標が存在するので完全にインタラクションが無いわけではない)

 

そしてこの「ソロプレイ型多人数ゲーム」は先に述べた「多人数ゲーム」の問題点をある程度解決している。ゲームを同時処理にすることで「ダウンタイム」が発生することなくプレイヤーはゲームを楽しむことが出来るし、「インタラクション」を極力排除することで何人でプレイしても問題が発生しにくい作りになっている。

その上でソロプレイ的ではあるが、きちんとプレイヤー同士で勝敗が着くためしっかりと多人数で「ゲーム」を遊べるようになっているのも見事だ。

 

このように「ソロプレイ型多人数ゲーム」は「多人数ゲーム」が抱える問題点に対して1つの回答であるし、構造としてよく出来ている。実際『Welocome to……』だけでなく似たようなゲームが近年多数制作されている点も、この構造が優秀であることの証明と言えるだろう。

 

 

僕としても「ソロプレイ型多人数ゲーム」という形式が素晴らしいものであることを否定はしない。しかしながらこの手のゲームに、従来の「多人数ゲーム」とはまた別の問題が生まれている点も僕は指摘したい。

というのも「ソロプレイ型多人数ゲーム」はインタラクションを減らすことで既存の問題点を解決したが、同時に「多人数ゲーム」が持つ魅力も減らしてしまった。

 

一番初めに述べたように多人数ゲームの魅力が「多くの人が1つの場所に集まり、同じことをする」部分にあると考えるなら、「ソロプレイ型多人数ゲーム」はどうだろう?一見「多くの人が1つの場所に集まって、同じことをする」という条件を満たしているように見える。しかし実際のゲーム中、プレイヤーは他者と関わることなく、システムと向き合い、黙々とゲームを行う。これでは本当にソロプレイのゲームをプレイしているような感覚に陥ってしまう。

 

つまり「ソロプレイ型多人数ゲーム」の問題は人とゲームをしている感覚が薄いという点である。これを僕は勿体ないように感じる。せっかくの「多人数ゲーム」であるなら「皆でゲームをプレイしているような感覚」が欲しいと思う。

 

 

以上の事を踏まえて僕は今回「多人数ゲーム」を作る上でクリアすべき目標を設定した。

 

①6人以上でも問題なく遊べるゲームであること。出来るならプレイ人数に制限がないものが望ましい。

②「人とゲームをプレイしている感覚」を損なわない構造であること。

 

これら2つの条件を満たしたゲームを制作するのが今回の目標だ。

そして僕はこの条件を満たすため、いくつかのゲームを参考にした。

次は参考にしたゲームを実際に挙げ、どのような点を作品に取り込もうとしたかを解説していこう。

 

【⑤チャレンジャーズ!】

『チャレンジャーズ!』は2022年に発売されたボードゲームだ。

2023年、あちこちで面白いと話題になったり、ドイツ年間ゲーム大賞のエキスパート部門を受賞するなど非常に勢いのあるゲームである。僕もプレイして、とても素晴らしい作品であると感じたし、大好きなゲームの1つだ。

 

ひとまずゲーム内容を知らない人のために概要を書いておこう。

『チャレンジャーズ!』は2~8人で遊べる対戦型カードゲームである。(ソロモードもある)

1ラウンドは「構築フェイズ」と「マッチフェイズ」に分かれており、これを7ラウンド繰り返す。「構築フェイズ」ではプレイヤーは山からカードを引き、自分のデッキを構築する。特徴的なのは「マッチフェイズ」で、ラウンド毎に対戦相手が定められており、そのプレイヤーと対戦を行う。もし勝利すれば得点を得ることが出来る。

これを繰り返し、7ラウンド終了時に上位2人のプレイヤーが決勝に進出。もう一度だけ対戦を行う。決勝で勝利したプレイヤーがゲームの勝者となる。

まとめるとリーグ戦を繰り返し行い、その後上位2人でトーナメントを行うといったようなゲームで、カードゲームの大会を模したような作りになっている。

 

 

『チャレンジャーズ!』は素晴らしいゲームで、語るべきところは沢山あるのだが、今回は「多人数ゲーム」としてこの作品を見ていきたい。

先に述べた「ソロプレイ的か?」という観点でこの作品を見た時、『チャレンジャーズ!』のプレイ感はそうではないように見える。一人黙々と点数を稼ぐといった形式ではなく、他人と同じゲームをしているような感覚がしっかりある。最大プレイ人数の8人では人々が1つの卓で行き交い、「全員で同じゲームをする非日常感」があり、多人数ゲームの魅力引き出しているように思う。

 

しかしシステムに注目してみるとどうか、『チャレンジャーズ!』にインタラクションはあるだろうか?僕は今作も『Welcome to……』などと同様にインタラクションを極力排除した作品であると見なしている。

例えば「構築フェイズ」ではドラフトといったインタラクションのある要素を取り入れることなく、山札からカードを引くという自己完結した行為しかない。これは他人の動向が絡むことないし、プレイヤーは引いたカードの中で何が最善かを考えることになる。プレイは同時処理で進行し、この点は「ソロプレイ型多人数ゲーム」のものと変わりがない。

 

そして「マッチフェイズ」では二人で対戦を行うという性質からプレイヤー同士の駆け引きが生まれるように思うが、実際の対戦はほとんど自動処理で進行し、「マッチフェイズ」中にプレイヤーが勝敗に関与する部分はとても少ない。そのため「2人対戦」という形式を取っているが、システムだけ見れば「構築フェイズ」でどれだけ上手くデッキを組めたかの答え合わせのような役割で、プレイヤー同士の交流が生まれるものではない。

 

また特定の相手に効果があるメタカードのようなものも存在しているが、デッキ構築のルール上、そういったカードを一時的に採用するのが難しくなっている。そういった点から『チャレンジャーズ!』の本質は「配られたカードの中で最良のデッキを構築すること」であり、それだけ見るとインタラクションの無いソロプレイ的なゲームだと言える。実際インタラクションを極力削ぎ落したゲームであるからこそ、処理がとても簡単なものになっているし、多人数ゲームでありながら45分程度でゲームを収束させることに成功している。

 

ではなぜ『チャレンジャーズ!』はインタラクションを排した作りであるのに、「人とプレイしている感覚」を損なっていないのか。それは『チャレンジャーズ!』の見せ方が非常に上手いからのだと僕は考える。

 

確かに『チャレンジャーズ!』にはインタラクションは少ないかもしれない。しかし形式としてカードゲームの大会を模した構造を取り入れたり、卓を疑似的に分断して「1VS1」の構造を複数作る。また「構築フェイズ」と「マッチフェイズ」の間では実際に席を移動するといった処理を行わせる。

こういった工夫によっプレイヤーは自然とシステムではなく、一緒にプレイしている人たちに目を向けるようになる。システム上、実際に人々が絡みあうことが無いとしても、心情的には他人とゲームをしているような気持ちになれるのである。

 

 

僕が『チャレンジャーズ!』を革新的なゲームと評するのもこの部分にある。

今までの「ソロプレイ型多人数ゲーム」では、プレイヤーはシステムに目を向ける作りになっていた。例えばそれはカードのめくり、ダイスの目といった人ではないシステムに目を向け、その中で最善を尽くすといった構造である。

その結果、「ソロプレイ型多人数ゲーム」では「プレイヤー対システム」という構造が人数分生成される。それによりプレイヤー同士は分断され、ソロっぽいプレイ感に繋がっていた。対して『チャレンジャーズ!』では見せ方を工夫することで、プレイヤーの意識を「システム」ではなく「人」に向けさせている。この部分が素晴らしい。

 

 

そしてこの『チャレンジャーズ!』が実現したことは今回作る「多人数ゲーム」のヒントになった。もし「何人でもプレイできるゲーム」を制作するなら、インタラクションを排除することは必要不可欠だ。その上で「人とゲームをプレイしている感覚を損なわないようにする」という条件を満たすには、見せ方を工夫して、プレイヤーの意識をシステムではなく人に向けさせれば良い。それこそ『チャレンジャーズ!』のようにだ。

 

ではそれを実現するにはどういった見せ方をすればよいのか?

『チャレンジャーズ!』ではカードゲーム大会を模すことで実現していたが、これをそのままパクったのではあまりに工夫が無い。ひとまず僕は別の良い見せ方を模索することにした。

 

【⑥レディ・セット・ベット】

そうした中でプレイしたのが『レディ・セット・ベット』というゲームだ。

そしてこれは『ハイスコアラー1986』に最も影響を与えた作品である。

 

 

『レディ・セット・ベット』はまだ日本語版も発売されておらず、良く知らないという人も多いだろうから先にゲームの概要を記載しておく。

 

『レディ・セット・ベット』はパッケージからも分かるように競馬がテーマのボードゲームであり、2~9人まで遊べる対戦型ボードゲームだ。プレイ時間は45~60分程度。

 

ゲームでは2つのダイスと、9つの馬の駒、そしてレース場を模したボードが用いられる。1人のプレイヤーがゲームマスターとなり、ダイスを振る役を与えられる。(これは専用のアプリを使うことで代用することが出来る)

 

ゲームマスター(またはアプリ)」はひたすらダイスを振る。

そして2つの目の合計値に対応する馬の駒を前進させる。

そして他のプレイヤーはその様子を見ながらルーレットのベッティングエリアのようなボードに自分のチップを置いて賭けを行う。基本的にそれぞれのスペースは占有であり、誰かが置いたスペースにチップを置くことは出来ない。

ある程度レースが進行すると、新たな予想を行うことは出来なくなり、どれか1頭がゴールしたなら順位に応じて得点計算を行う。プレイヤーは予想が正解すると得点を得ることが出来る。

これだけでは7の馬が非常に有利のように思えるが、確率的に出にくい出目を担当する馬には強力なボーナスがあったり、配当が大きいなどの調整が効いているため、一筋縄ではいかないゲームになっている。

 

このレースを何度か繰り返し、最終的に得点を一番獲得したプレイヤーが勝者となる。

 

この『レディ・セット・ベット』は競馬要素とリアルタイム要素が見事に融合した作品で、とてもよく出来ている。『チャレンジャーズ!』同様に素晴らしい作品であり、僕も大好きなゲームだ。機会があればプレイする価値のある作品だと思う(日本語版出て……!)

 

 

それはそれとして、今回言及したいのはメインのゲーム部分というよりサブの要素、ゲームマスター」と「アプリ」による進行の違いだ。先に述べた通り『レディ・セット・ベット』は誰かがダイスを振る役を担当しなくてはならない。だがこのプレイヤーはゲームに参加できなくなるので、専用アプリによる進行に任せた方が親切だ。

 

しかし僕が初プレイの際はアプリを入れるのも面倒だし、スマホの画面では小さく見にくいので、経験者に「ゲームマスター」を担当して貰ってゲームを始めた。するとどうだろう、「ゲームマスター」がダイスを振り、駒を動かす。その動作に全員が注目し、時には出た目に喜び、時には嘆き野次を飛ばす。「ゲームマスター」がどの速度でダイスを振るか、更にダイスを机の下に落とすというちょっとしたアクシデントでさえゲームに影響を与える。こういった一連の体験がとても面白く、かつ卓全体に一体感を生んでいた(ように思えた)。

 

その後、僕は自分が「ゲームマスター」を担当したり、「アプリ」を用いたプレイを試してみた。自分が「ゲームマスター」の時のゲームは、先ほどと同じような体験が味わえたし、自分のダイスの目によって他プレイヤーが一喜一憂するのは得難い体験であった。しかし「アプリ版」でプレイした時は、もちろんゲームとしての面白さはしっかりあるのだが、「ゲームマスター」のいた時と比べて熱のようなものが欠ける印象を覚えた。これは僕の感覚による話なので勘違いという可能性もあるが、「ゲームマスター」と「アプリ」によって少し体験は異なっているように感じる。

 

勿論「ゲームマスター」と「アプリ」で行っている処理は変わらない。

ただそれでも体験が異なるように感じられたのは、やはりこれも『チャレンジャーズ!』同様、見せ方の問題だと僕は思う。「アプリ」を用いた進行ではプレイヤーはやはりシステムに目を向けているような感覚だ。ただ「ゲームマスター」がこれを担当することで、まるで人に目を向けているような感覚に陥るのである。言ってしまえばこれはまやかしに過ぎない。しかし実際そう感じられたのなら嘘であるとも言えないはずだ。

 

『レディ・セット・ベット』のこのような点から僕はこう考えた。

 

「ソロプレイ型多人数ゲーム」のシステムが担当している部分(Welcome toでいうところの中央のカード)を、プレイヤーに置き換えることで自然と人に目を向けるようになり、卓全体に一体感を生み出すことが出来るのではないか。これは本当に単純なアイデアだが、試してみる価値はあるように思えた。

 

そしてもう1つ、僕がそのアイデアを試そうと思った理由の1つに『レディ・セット・ベット』の「ゲームマスター」が単調だということがある。もちろん先に述べたように「ゲームマスター」版は体験としては面白いし、その役を担当するのも楽しい。だが同時に作業的であるということも否定できない。それに『レディ・セット・ベット』はプレイ時間は45~60分と短いゲームでは無いため、楽しいは楽しいが少し飽きるというのも事実だ。

 

僕は「ゲームマスター」版を高く評価しているが、そこを改良する余地があるとも感じていた。そこで「ゲームマスター」の立ち位置の人に「ひたすらダイスを振る」のではなく「何か別のゲーム」をプレイさせる。そしてそれ以外のプレイヤーはその結果を予想する。こうすれば「ゲームマスター」自身もゲームを楽しめるはずである。

 

こうした考えを突き詰めるうちに、『ハイスコアラー1986』の「1人がソロゲーをプレイし、他のプレイヤーはそれを観戦しながら結果を予想する」という構造が出来上がっていったのである。

 

【⑦『観る』という娯楽】

ただこのコンセプトは不安な部分もあった。

「ゲームをするプレイヤー」と「それを観戦するプレイヤー」ではどうしても体験に差が出る。例えば「スコアラー」のゲームが悩ましく楽しいものであっても、それを見ている「観客」は本当に楽しいのだろうか?もしその満足度に大きな違いが出てしまうなら、ゲームとしては良くないし、プレイされることも無くなってしまう。

 

つまり僕の不安だったのは「観戦」と言う要素がエンタメになりえるかという点だった。だが日が経つにつれてこの不安は次第に薄れていった。というのも「観戦」するという娯楽が日常に溢れていることに気づいたからだ。

「皆で何かを観る」という娯楽は現代社会に溢れている。

 

最もポピュラーなものだと「スポーツ」がある。毎日たくさんの人がその魅力にひかれ、スタジアムに足を運んでいる。少し視線を変えるなら「配信」なども「観る」という娯楽の1つである。「ゲーム配信」は人気のあるジャンルだし、それを見ている人は自分がプレイしているような気持ちになったり、コメントを飛ばしたり他人のコメントを読んだりして、その時間を楽しんでいる。

そう考えると「観戦」というのが強い娯楽であるのは疑いようもない。

 

更に加えて言えば、「全員で同じものを観る」という行為がそういった場に一体感を生んでいる点も見逃せない。スタジアムや配信で、ここにいる全員が同じものを見ているという状況が一体感や緊張感を生み出しているのは説明するまでも無いだろう。

であるなら「ソロプレイ型ボードゲーム」に一体感を与える為、「観戦」という要素を持ち出すのはそこまで見当はずれなことでもないはずだ。

 

もちろんあくまでこれは「ゲーム」なのだから、ただ観戦するのではなく「観客」もゲームとして楽しめるようにしなくてはいけない。そういった調整が難航する可能性はあるが、挑戦する価値も十分にあるように思えた。

 

このような理由で僕は方向性を決め、『ハイスコアラー1986』の制作を始めたのであった。

 

【⑧制作で意識したこと】

では次に『ハイスコアラー1986』のシステムについて細かく解説……と行きたいところだが、それを始めるとまとまりがなく分かりにくい話になってしまうので、今回は僕が制作する上で意識したことをざっと紹介するだけに留める。

また「全体の話」「スコアラーのゲーム」「観客のゲーム」の3つに分けてそれを解説していこうと思う。

 

「⑧-①:全体の話」

『ハイスコアラー1986』のベースは『レディ・セット・ベット』だ。「1人を観て、皆が予想する」という構造や、予想を行うゲームであるなど共通点はとても多い。

 

ただ「ゲームマスター」のプレイヤーが行うことを「ダイスを無限に振る」から「ソロゲー」に置き換えることで、そのプレイヤー自身もゲームを楽しめるようになっている。

 

また『レディ・セット・ベット』では観客同士に早取りのインタラクションがあり、それが良い緊張感をもたらしていたが、『ハイスコアラー1986』では何人でもプレイできる構造にするため、このインタラクションを排し、別の制約に置き換えている。

 

また『レディ・セット・ベット』では複数回ラウンドを行い、プレイ時間も45~60程度であったが、『ハイスコアラー1986』ではプレイ時間を15分程度に抑え、プレイしやすくなるような調整を行った。

 

「⑧-②:スコアラーのゲーム」

「スコアラー」のゲームにおいて意識したことは大きく2つ。

 

まず1つは「出来る限りシンプルなものであること」

これは「観客」のゲームが、「スコアラー」のゲームを理解した上で成立するものであるからだ。もし「スコアラー」のゲームが非常にややこしいルールであったなら、これは「観客」にとって大きな負担になる。そのため「スコアラー」のゲームは極力シンプルになるよう調整した。

 

もう1つは「盛り上がるポイントがあるゲームであること」

「スコアラー」のゲームはそれ単体で悩ましいものであるべきだが、淡々と進行しすぎてもいけない。「観客」が盛り上がるポイントがしっかりあるゲーム、具体的なシステムで言えば「ダイス」や「バースト」の要素があるものの方が良いだろうと思い、その方向でゲームシステムを考えた。

 

これら2つのことから「スコアラー」のゲームは「ダイスを用いたシンプルなセットコレクション」に決定した。このゲーム自体に目新しさはほとんど無いのだが、逆にそれがわかりやすさに繋がっているはずである。

 

「⑧-③:観客のゲーム」

「観客」のゲームにおいて意識したことも2つ。

 

1つは「スコアラー」のゲームと同じく「シンプルであること」

まず「観客」は「スコアラーのゲーム」と「観客のゲーム」の2つのルールを理解しなくてはならない。どちらも難しいものではないが、それが2つになったならプレイヤーの負担は倍増する。なので「スコアラー」のゲームと同じく、出来る限りシンプルになるように調整を行った。

 

もう1つは「予想に関する制約」だ。

何かを予想するゲームは基本的に遅く予想した方が正解しやすい。

ただ情報が出揃ったタイミングで予想するだけだとつまらないので、従来の作品、「レディ・セット・ベット」や「メンバーズオンリー」などはインタラクションを用いることで予想に制約を与えている。これは予想を行える人数に制限があるというシステムだ。

プレイヤーは出来る限り遅く予想することで的中率を上げたいが、他のプレイヤーに先を越されてしまえば予想が行えないというジレンマだ。この仕組みはシンプルで、非常に効果的だが、『ハイスコアラー1986』では何人でもプレイできるようにしたいため、これを取り入れることは出来ない。

 

そのため、今回はラウンドで予想できる回数に制約をつけることにした。

これによりプレイヤーはある程度早いタイミングで予想を行わなくてはならない。これによりインタラクションを排しながらも、予想のタイミングに制約が生まれているはずである。

 

 

【⑨今作の不安点】

さてゲームの解説としては以上なのだが、最後に今作の不安点について作者の目線で解説しておきたい。勿論僕としては面白いゲームであると思っているし、せっかく作ったのだから沢山売れて欲しい。

 

だからとって誰にでも薦めることが出来るかと言えばまた違う。

どんなゲームにも向き、不向きがある。

一番の悲劇はせっかく興味を持って買ったのに自分に合わなかった時である。

これは購入した人は勿論、僕としても悲しい。

 

こんな事態を防ぐため、事前に不安点、人を選ぶかもしれないところを書き記して置く。それらを踏まえて購入を検討して貰えると、僕としても嬉しい。

 

「⑨-①:15分ゲームであり、運の要素は強い」

ここまで長々と『ハイスコアラー1986』の背景にあるものを解説してきたが、まずこのゲームが「15分で終わるゲーム」であることは忘れないでいただきたい。多分この記事をここまで読んでいる人は相当なギークである可能性が高いと踏んでいるが、もしあなたが非常に悩ましく濃密な重量級ゲームだけを愛するような人であるなら、このゲームは合わないかもしれない。

 

「スコアラーのゲーム」と「観客のゲーム」ではある程度の悩ましさは存在するが、それでも運の要素はかなり強い。基本的に「スコアラー」は運が悪ければハイスコアを取ることが出来ないし、「観客」の点数もダイスの目に大きく左右される。

全体的なプレイ感がパーティーゲーム寄りだということは、1つ伝えておきたい。

 

 

「⑨-②:構造自体の難しさ」

『ハイスコアラー1986』では「スコアラーのゲーム」と「観客のゲーム」がメタ的な構造を伴っている。この構造は独自の面白さに繋がっているのだが、複雑だという欠点もある。

「観客」のプレイヤーが勝利するためには自分のルールだけでなく「スコアラーのゲーム」のルールを理解することが必要不可欠だ。これは「非対称ゲーム」が抱える欠点をそのまま受け継いでしまっている。そのため初めてのプレイではよく分からないまま終了してしまう可能性がある。

この構造自体が少し難しく、初回のプレイヤーに優しくないというのは欠点と言える。

 

 

 

……と、以上2つが僕の不安点だ。

この15分ゲームでありながら、構造が難しいという部分が少しアンバランスに思えるところはある。だが勘違いして欲しくないのは、そういった欠点はありつつもきちんと独自の面白さがあるゲームでもあるということだ。

 

「運の要素が強い」という点も「15分ゲーム」という部分を考慮すれば十分許容されるレベルだと感じるし、「構造が難しい」とは言え全体的なルールはとてもシンプルで一度理解してしまえばそこまで複雑ではない。

 

もしここまで読んで少しでも興味を持ったなら、ぜひ一度遊んで判断して貰えると僕はとても嬉しい。

 

 

【⑩まとめ】

長くなったが、以上で『ハイスコアラー1986』の解説を終わりにする。

 

今作は9/3・4に静岡県御殿場市で開催されるボードゲーム大祭」にて販売される予定だ。場所は「さくらの間-19:サイシュピールブース。価格は2000円。

 

また2023年12/9・10に開催される「ゲームマーケット2023秋」でも販売を行う予定でもある。まだ先の話にはなるが、買ってもらえると嬉しい

 

 

それでは最後まで読んでくれておりがとう!

是非当日ブースにてお会いしましょう!

ゲーム紹介『ハイスコアラー1986』

Megalomaniac Gameは2023年9月2・3日に静岡県御殿場市で開催される「ボードゲーム大祭」にて新作ボードゲーム『ハイスコアラー1986』を販売します!



この記事ではこの新作のルール推しポイントを分かりやすく解説!

これさえ読めば大体OKといった内容になっています。

 

さあ、前置きはこのくらいにして詳しいゲームの解説に行きましょう!

 

 

【①基本的なスペック】

ゲーム名:『ハイスコアラー1986』

プレイ時間:15分

プレイ人数:3~99人

価格:2000円

 

『ハイスコアラー1986』は対戦型ボードゲームで大体1プレイ15分程度で終わる、所謂「軽ゲー」と呼ばれるタイプのゲームです。

 

特筆すべきはそのプレイ人数!

なんと3人以上だったら何人でも同時に遊ぶことが可能です。

 

実際にはスペースの問題で99人で遊ぶのは厳しいでしょうが、大人数で遊ぶことが出来るというのは今作の1つ大きな推しポイントですね。

 

 

【②作品のテーマ】

今作は「1980年代のアーケードゲームがテーマのゲームです。

1980年代はあの有名な「ストリートファイターⅡ」もまだ無く、対戦格闘ゲームの爆発的なブームも訪れていません。どちらかといえば対戦ゲームより1人用ゲームでハイスコアを目指す「スコアアタック」のような遊び方が主流の時代でした。

 

そんな中自然とアーケードゲームに熱中する人々は、誰よりも高いスコアを叩き出すことを目指すようになっていきます。彼らは「ハイスコアラー」と呼ばれ、次第に1つのお店の中だけでなく、ゲーム雑誌で専用のコーナーが組まれるほどになり、ハイスコア獲得という遊びは全国に広がっていきました。

(タイトルにある「1986」という年は、あの有名な「ゲーメスト」が刊行した年です)

 

家でオンライン対戦が出来る今では想像しにくい遊び方ではあるかもしれませんが、不便な時代だからこそ成立する楽しさがあったのでしょう。

 

今作ではその時代にあった「熱」に注目し、その楽しさを再現しようとしました。

 

 

【③ゲームの特徴】

『ハイスコアラー1986』で最も特徴的な部分は「スコアラー」「観客」という2つの立場が存在し、プレイヤーはどちらかを担当することになるところです。

「スコアラー」か「観客」、どちらを担当するかでルールや行えるアクションは異なってきます。それこそ「全く違うゲームをプレイする」と言っても過言ではありません!

 

それを説明するために、ひとまず「スコアラー」のプレイヤーのルールについて見ていきましょう

 

 

【④スコアラーのゲーム】

プレイヤーの内、誰か1人が「スコアラー」を担当します。何人でプレイしようと(3人でも、99人でも!)、「スコアラー」になるプレイヤーは必ず1人だけです。

 

そして「スコアラー」になったプレイヤーは、「ダイスとカードを用いたシンプルなソロプレイ専用ゲーム」に挑戦します!

 

「スコアラー」のゲームで重要になるのは「プレイカード」と呼ばれるマークの描かれた全64枚のカードです。

ゲームでは8種類のマークが登場し、「スコアラー」は効率よくこれらを集めていくことで得点を獲得していくことになります。

 

では次に実際のゲームの流れを見ていきましょう。

「スコアラー」のゲームは「手番」が存在し、ラウンド終了条件を満たすまで何度もこれを繰り返し行っていきます。(手番といってもソロプレイ用ゲームなのでひたすら1人で繰り返すことになります)

 

手番開始時、「スコアラー」はラウンドの山札から3枚カードを引き、用意された「プレイヤーボード」上部に左詰めで配置していきます。

(プレイ風景のサンプル)

 

その後、「スコアラー」は公開された3枚のカードに対して1回だけアクションを行います。「スコアラー」のアクションは3種類あり、適切なアクションを選択する必要があるでしょう!

 

ベーシックなアクションは「価値の高いカードを取る」「価値の低いカードを取る」の2つです。「プレイカード」にはカード下部にダイスのイラストが描かれており、これがそのカードの価値を示しています。

価値は1~4まで存在し、この値がアクションの内容に大きく関わります。

 

「価値の高いカードを取る」では3枚のカードの中で最も価値の高いカード1枚だけを獲得し、他を捨て札にします。逆に「価値の低いカードを取る」では3枚の中で最も価値の高いカードだけを捨て札にして、他の2枚を獲得します。

 

例えば上の画像では「価値の高いカードを取る」を選択したなら、中央のカード1枚だけを獲得しますし、「価値の低いカードを取る」を行えば両端の2枚が獲得できます。

 

 

しかし「公開されたカード全て欲しい!1枚も逃したくない!」という状況がいつかやってくるでしょう。そんな欲張りなプレイヤーのためにあるのが3つ目のアクション、「チャレンジ」です。

 

「チャレンジ」を選択したなら「スコアラー」はダイスを2つロールします。

そして2つのダイスの合計値が、今回公開された3枚のカードの価値の合計値(上記の画像だと8!)を超えていれば、見事「チャレンジ」は成功です。

 

「スコアラー」は3枚のカード全てを獲得することが出来ます(最高‼最高‼)

 

逆にもし合計値以上を出すことが出来なければ?もちろん「スコアラー」はその代償を払う必要があります。失敗した場合、「スコアラー」は3枚の中で最も価値の低いカード1枚しか獲得出来ません……

つまりチャレンジは文字通りハイリスクハイリターンのアクションなのです。

 

 

上記3つのアクションから1つを実行し、まだラウンドの山札があるならこれを繰り返します。山札が尽きたなら1ラウンド終了。次のラウンドに進みましょう。

4ラウンドが終了したなら、得点計算に移ります!

 

 

「スコアラー」が獲得したカードは上記のように並べられていくのですが、どのマークをいくつ獲得したかが非常に重要になります。基本的には同じマークを沢山集める程、得点が獲得できます。またある程度、全てのマークを一定数集めることでもボーナス点が貰えます!

特化して集めるか、満遍なく集めるか、これもまた悩ましい選択になるでしょう。

 

そうして算出されたものが今回の「スコアラー」のスコアになります。

 

ゲームが終了したなら、今回のスコアを付属の「スコアボード」に記録しましょう!

「スコアラー」はプレイした日付、名前(アルファベット3文字で‼)、今回のスコアを「スコアボード」に書き込みます。色んな人が何度もプレイする事でどんどん記録が蓄積されていくので、今回の自分のスコアが何位なのか確認して楽しむことが出来ます。

 

そしてもしあなたが圧倒的な「ハイスコア」を叩き出すことが出来れば、その偉業は「スコアボード」上で永遠に語り継がれることになるでしょう!

全員の記憶に残る「ハイスコア」樹立を目指してください!

 

 

 

……と、これがざっくりとした「スコアラー」の概要です。

ここまで読んで分かる通り、「スコアラー」のゲームはそれだけで完結しており、本当にソロプレイ専用ゲームをプレイするといった感じになっています。

 

 

しかし『ハイスコアラー1986』は3~99人までプレイできる多人数ゲームという話でした!それでは他のプレイヤーは一体何をするのでしょうか?

そこで重要になるのがもう1つの立場、他全てのプレイヤーが担当する「観客」という立場なのです。

 

 

【⑤観客のゲーム】

『ハイスコアラー1986』では「スコアラー」ではない全てのプレイヤーは「観客」という立場を担当します。

 

「観客」たちは「スコアラー」のファンであり、自分の事を最も熱狂的で優秀なファンだと信じ切っています。そしてそれを証明するため、1つのゲームを始めました。

それは「スコアラー」の行動を予想するというゲームです。

もし「スコアラー」のことをよく理解しているなら、彼がどのようなプレイをするのかも分かるはずだ‼その論理が正しいかは疑問ですが、とにかくファンの威信をかけたゲームが始まりました!

「観客」の目標は「スコアラー」の行動を予測し、他のどの「観客」よりも高得点を獲得し、自分が最も熱狂的で優秀なファンだと証明することです。

 

 

……というのがゲームの簡単な背景。

つまり「観客」は文字通りスコアラーのゲームを「観戦」しながら、「スコアラーがどのマークをいくつ獲得するか」を予想しなくてはなりません。

この「1人がソロゲーをプレイし、他のプレイヤー全員でそれを観戦する」という構図が、『ハイスコアラー1986』の最も特徴的な部分だと言えます!

 

 

では実際にゲームの流れを解説しましょう!

まず全ての観客は下記の「プレイシート」とペン1本を受け取ります。

 

そして「スコアラー」が席に着き、全ての「観客」が「スコアラー」の盤面を目視できる位置に着きましょう。もしテーブルに十分なスペースが無いのなら、「観客」は立ってプレイすることも可能です(それこそアーケードゲームのギャラリーのように‼)

 

 

準備が出来たら「スコアラー」がゲームを開始します。

ひとまず「観客」はその動向を注意深く見守りましょう。

しかしただ観戦するだけでなく、「観客」は適切なタイミングでアクションを行う必要があります。手番という概念が存在した「スコアラー」と違って、「観客」はラウンド中であればいつでもアクションを行うことが出来ます(つまりリアルタイム要素がある)

つまり「スコアラー」がどのくらいのスピードでゲームをプレイしているか、どのくらいでラウンドが終了するかをきちんと把握するのも重要になってくるでしょう。

 

そして「観客」は各ラウンドで決められた回数だけ「結果の予想」というアクションを行うことが出来ます。これは最終的に「スコアラー」がどのマークをいくつ獲得するかが重要になります。

 

 

実際のアクションの流れは以下の通りです。

「プレイシート」上部にはアクションボックスと呼ばれるスペースがあり、これはそのラウンドで行えるアクション数を示しています。チェックを入れていないボックスがまだあるなら、その回数分アクションを行うことが出来ます。

 

ひとまず「観客」はアクションをするぞ!と決めたらアクションボックスにチェックを入れます。

その後、どのマークについて予想をするかを決めましょう。

マークは全部で8つあり、それぞれのマークについて1回だけしか予想を行うことが出来ません。「スコアラー」が獲得したカード、捨て札にしたカードを参考に予想するマークを選びましょう。

 

例えば今回は「ボム(Bomb)」のマークが7回出ると予想することに決め……

このようにBの欄の7のスペースに〇をつけました。

これは「Bが7つ出ると予想した」ことを示しており、「スコアラー」が最終的にBのマークを7つ獲得すれば予想は成功し、プレイヤーは勝利点を獲得することが出来ます。

 

 

基本的に「観客」が行えるアクションはこれだけです!

そして「スコアラー」がゲーム終了したと同時に「観客」たちも点数計算を行います。

全ての「観客」が得点を発表しあい、最も高いスコアを獲得したプレイヤーが勝者になります。

 

 

 

「観客」のゲームの流れは概ねこんな感じ。

つまり「ソロゲー」を対象に「競馬」のように結果を予想するゲーム、といった感じなわけです。「観客」のやることはとてもシンプルですが、これにいくつかの制約と選択肢が加わることでゲームがより悩ましいものになっています。

 

例えば制約という点では、「観客」が予想するタイミングが挙げられます。

今作は結果を予想をするゲームなので、予想を行うのは情報が出揃っている方が、つまり後に行う方が的中率が高くなります。しかしアクションの回数はラウンドごとに決められており、それを持ち越すことが出来ないため、プレイヤーはある程度早いタイミングでいくつか予想を行う必要があります。

 

またラウンドの最後にまとめて予想を行おうと思っても、意外とあっという間にラウンドが終了してしまい、焦って考えがまとまらない!という状態も起こります。

この時間の制約がゲームをより難しく、悩ましいものにしています。

 

 

またプレイヤーの選択肢という点では予想の方法が挙げられます。

先程予想を行う際、数字の書かれたスペースに〇をつけると説明しましたが、この時連続する数字(3・4・5のような)であるなら、3つまでのスペースに〇をつけても構いません。

例えばこれはD(Diamond)の予想で「4・5・6」の3つのスペースに賭けていることを示しています。この場合、「スコアラー」がDのマークを獲得した数が4~6の範囲に収まれば見事正解となり、点数を獲得できます。

ただしこれは良いことばかりではありません。

広く予想を行った場合、獲得できる点数は少ないものになります。

そのため「観客」は広く予想を行いひとまず点数を取るか、リスクを負って狭く予想するかの選択を求められることになります。また予想が的中した数によってボーナス得点が獲得できるのも悩ましいところです。

「観客」は「スコアラー」の動向を見ながら、迅速にこの判断を行う必要があるでしょう!

 

 

そして最後に1つ、『ハイスコアラー1986』の特徴的なルールとして「スコアラー、観客問わず自由に声を掛けて良い」というものがあります。

これは「スコアラー」への応援といったものだけでなく、ゲームに関するアドバイスのようなものさえ許されます‼もちろん最終的な決定権は「スコアラー」にあり、強制力を伴うものではありません。

しかし「観客」は「スコアラー」に声を掛けることで予想の的中率がほんの少し高くなるかもしれません。ゲーム中、時には応援し、時には軽く野次を飛ばしながら自分の予想が的中することを祈りましょう‼

(注:もちろん「スコアラー」の選択を責めたり、失敗を強く非難するような発言は絶対に禁止です‼)

 

 

【⑥今作のおすすめポイント】

さてゲーム自体の説明は以上です。

では次に今作の推しポイントを2つに絞ってオススメしたいと思います。

 

【おすすめポイント①:2つの立場が生み出す独特のゲーム体験】

今作は1人の「スコアラー」のプレイを、沢山の「観客」が見るという変わった構造のゲームです。必然的に「自分のプレイを沢山の人に見られる」「複数人が同じ空間で同じものを見る」という状況が発生し、これが他のゲームには無い体験を生み出します。

「スコアラー」の「沢山の人に見られながらゲームをする」という状況は、ソロプレイのゲームであまり味わえない緊張感を与えてくれます。また他プレイヤーの期待を背負ってゲームに挑む、自分の選択やダイスの目に「観客」が一喜一憂するというシチュエーションは貴重で、他では得難い体験と言えるでしょう。

 

また「観客」の「全員で1人のプレイを観戦する」という状況は、卓全体に一体感を生み出します。今作は「観客」同士が邪魔したり、影響したりという所謂インタラクションはほぼありません。しかし全員で同じものを見る、「スコアラー」の選択に目を光らせる、成功や失敗に声を漏らすといった空間を「観客」が共有することで、ソロプレイ的でないゲーム体験を全員で味わう事が出来るはずです。

 

この「スコアラー」と「観客」の関係が生み出す独特のゲーム体験が今作の最もオススメしたいポイントになっています!

 

 

【おすすめポイント②:プレイのしやすさ】

そしてもう1つのおすすめポイントは何と言っても「プレイのしやすさ」です。

今作は3人以上であれば何人でも遊べる上、1プレイが15分程度と非常に短いので、とてもプレイしやすいゲームになっています。

そのためオープン会などで人数があぶれて時間調整を行いたい時などのゲーム(つまりフィラー)として非常に優秀です。そういった場でゲームをする機会が多い方にとっては今作は良い選択肢になるのではないでしょうか。

もちろん人数が多くなければ楽しくないというわけではなく、最低プレイ人数の3人でもしっかり楽しめる点も推しポイントの1つです。ひとまず1つ買って遊んでみるか……と軽い気持ちで手を出しやすいゲームになっています!

 

 

【⑦まとめ】

以上が新作『ハイスコアラー1986』の紹介でした。

冒頭に述べた通り、今作は9/3・4に静岡県御殿場市で開催されるボードゲーム大祭」にて販売されます。場所は「さくらの間-19:サイシュピールブースです。

価格は2000円。それなりにお求めやすい価格です。

もしこの記事を読んで少しでも興味を持たれた方は是非足を運んでみてください!

 

また2023年12/9・10に開催される「ゲームマーケット2023秋」でも販売を行う予定です。気になるけど静岡なんて行けないよ!という方はそちらで手に入れて貰えると僕がとても喜びます。よろしくお願いします。

 

 

また近日中に「ハイスコアラー1986:デザイナーズノート」というタイトルで、作者が今作の制作意図やゲームシステムについて細かく解説している記事が公開される予定です。興味があれば是非そちらもどうぞ!

 

 

それではここまでお読みいただきありがとうございました。

是非当日ブースにてお会いしましょう!

ボードゲームの変遷から考える『スマートフォン株式会社』と『モバイルマーケット』

1.前書き

2018年にCosmodrome Gamesから発売された重量級ボードゲームスマートフォン株式会社』は独特なアクションプロットを中心としたゲーム性、スタイリッシュなアートワークなどが評価され、多くの人に愛されるゲームとなりました。

 

そしてその3年後、2021年に同作者による後継作『モバイルマーケット』が発売されました。同作は『スマートフォン株式会社』で好評を博した要素を受け継ぎながらも、新しい要素を取り込み、前作とはまた違った魅力が溢れるタイトルに仕上がっています。

 

今回はこの2つのボードゲーム、『スマートフォン株式会社』と『モバイルマーケット』に焦点を当て、両作品にどのような魅力があり、どのような違いがあるのかを自分なりに考察していきます。
とても長いですが最後まで読んで頂けたら嬉しいです。

 

 

さて本題に入る前に「この記事を書く目的」をもう少しだけ明確に示させてください。先に述べた「両作品の違いに注目し、それぞれが持つ魅力を考察する」というのも勿論1つの目的ではあります。
しかしこの記事の最終的な目的は「両作品が抱える背景、および立ち位置を明確にする」ことです。何だか分かりにくいので軽く説明しましょう。

 

ボードゲームが誕生したのは遠い昔、そこから長い年月の中で数えきれないほどの作品が生まれてきました。またそれらの作品はそれぞれが独立して存在するのではなく、複雑な関係で結びついています。とある2つのゲームの要素を組み合わせて新しいゲームが生み出されたり、特定のメカニクスを持つゲームが評価されフォロワーが多数生み出されるということはよく見られます。そういったことが繰り返され、様々な流行り廃りを経て、ボードゲームは今日まで発展してきました。

 

つまりボードゲームにも一連の流れ、即ち「歴史」があり、どんな作品にもそれが生み出された「背景」があるはずです。これは今回取り上げる『スマートフォン株式会社』と『モバイルマーケット』も例外ではありません。
これら2つもボードゲームの歴史の中にあるゲームであり、後世の作品に何かしらの影響を与えていくでしょう。僕はこういった「歴史」を興味深いものだと感じますし、それが生み出した「背景」を明らかにすることはゲームを理解する上でもとても役に立つものだと感じます。

 

そのためこの記事では『スマートフォン株式会社』と『モバイルマーケット』を単純に比較するだけではなく、影響を与えたと思われるジャンルをいくつか取り上げ、それらと比較することでも考察を進めます。最終的に「両作品がボードゲームの歴史の中でどのような立ち位置にあるのか?」という問いを少しでも解明できれば本望です。

 

 

ただ1つ注意して欲しいのは自分は一介のボードゲーマーであり、記事に書かれている内容は僕の個人的見解が大部分を占めています。そのためそれ自体が間違っていたり、トンチンカンな考察であることがあり得ます。あくまで「一個人の考え」として読んでもらえると助かります。よろしくお願いします。

 

 

2.ボードゲームの変遷

前書きで述べたように、ボードゲームは長い年月の中で変化し続けてきました。しかしそういった歴史を正しく評するのは困難と言えます。何故ならボードゲームの変化の方向性は多岐に渡る上、他のジャンルと比べて資料も豊富ではないからです。(そもそも「歴史を語る」という行為が簡単ではない)
そういった事実を踏まえた上で「ボードゲームの歴史を語る」なら、ひとまず「インタラクション」という軸に話を絞って考えることにします。

 

 

「インタラクション」はボードゲームでは「プレイヤーが他プレイヤーに与える影響がどれほど大きいか」を示す言葉として使われています。(この記事では上記の定義で話を進める)例えば「他のプレイヤーの行動によって展開が左右される」といったゲームはインタラクションが強い、逆に「他人の行動が自分に影響を与えない」ゲームはインタラクションが弱いと評されます。つまりこれは「複雑さ」などの同じで、そのゲームの傾向を示す1つの指標だと言えます。

 

ではこの「インタラクション」に絞って見るとボードゲームはどのような変遷を遂げてきたのでしょうか?

 

2000年代前半頃までのボードゲームにはインタラクションが強いものが多くありました。むしろこの頃のゲームは「インタラクションが強い」「ルール量が少ない」「テキストなどの複雑な効果は出来るだけ避ける」といったものが主流だったと言えるはずです。

 

しかし時代が進むにつれてボードゲーム複雑化の道を辿っていきます。その流れの中で、他人の動向によって勝敗が左右される可能性があるインタラクションが強いゲームは支持を失い、代わりに主体的に戦略を組み立てるような「インタラクションが弱いゲーム」が人気になっていきました。

 

この変化を示すものとして当時人気のあったメカニクス(ジャンルのようなもの)が挙げられます。古い時代に多く見られたメカニクス「競り」「交渉」「エリアマジョリティ」「陣取り」などで、これらはプレイヤー同士でバランスを取るという要素が強く、これを採用したゲームはインタラクションが強くなりがちです。しかし最近は「交渉」や「競り」の要素があるゲームはとても少なくなりました。「エリアマジョリティ」や「陣取り」は前2つに比べてまだ見かけますが、それを中核に置くというより味付け的な使われ方が多くなっていると感じます。

 

では対照的に人気を集めた「デッキ構築」「ドラフト」「ワーカープレイスメント」といったメカニクスはどうでしょう?「デッキ構築」は自分のデッキを強化していく拡大再生産要素の強いメカニクスですが、それ自体に他人との絡みは存在していません。

「ドラフト」の他人の欲しいカードをカットするという要素はインタラクションと言えますが、評価されたのは「同時処理によるダウンタイムの削減」と「運要素の緩和」という要素が大きいように思えます。

「ワーカープレイスメント」は他人の動向が強く作用しますが、そのインタラクションは直接的なものというより間接的に影響しあう程度に収まっています。また近年ではアクションスペースが占有ではなく、追加のリソースを払う事でアクションを行えるようなゲームも増えてきており、そういった面から考えてもインタラクションは弱くなってきていると言えるでしょう。

 

 

とはいえボードゲームにおいて「インタラクション」が無くなったわけではありません。しかし過去のゲームの多くが他人の行動が強く影響を与えるような「直接的なインタラクション」が採用されていたのに対して、近年のゲームは絡みはありながらも出来るだけそれが感じにくいようにする「間接的なインタラクション」が主流になってきています。

むしろこの「インタラクションのあり方の変化」こそが、ここ15年くらいの大きな流れと言えるはずです。

 

3.経済ゲームの魅力と問題

こうしてインタラクションの強いゲームは勢力を失っていったのですが、だからと言ってそういったゲームが「インタラクションの弱いゲーム」と比べて劣っているか?と問われればそう単純な話ではないでしょう。

 

確かに「インタラクションの強いゲーム」は単純にゲームとして評価するなら問題となる部分があります。ゲームバランスをシステムではなくプレイヤーが取る必要があったり、それによってゲームの上手さではなく人間関係によって勝敗が決してしまうのは良い体験ではないかもしれません。

 

しかしそれを差し引いても他プレイヤーの一挙手一投足に目を向け、シビアで痺れるような駆け引きは「インタラクションの強いゲーム」の大きな魅力であるのも事実です。またプレイヤー同士が関係しあうというゲーム性は1つの卓を皆で囲んで遊ぶボードゲームならではの楽しさと言えます。

 

実際に近年のソロプレイ感強めのゲームは物足りないと感じたり、先に述べた古いタイプのボードゲームを好んで遊んだりしている人は少なくありません。時代の流れで「インタラクションの強いゲーム」は主流派ではなくなりましたが、独自の魅力があり、それに惹かれている人も多くいるのです。

 

 

そして「インタラクションの強いゲーム」の極北ともいえる存在が「重量級経済ゲーム」というジャンルでしょう。これを細かく定義するのは難しいのですがひとまず「経済や経営がテーマ」「限られた需要をプレイヤー同士で奪い合う」「価格や商品などを取り扱うシステムがある」というような要素があり、かつインタラクションが極めて強いゲームであることが多いです。

 

一歩間違えれば脱落してしまうような、ガードレールの無い剥き出しのインタラクションは、非常にシビアで容赦がないものですが、それを乗りこなせた時の快感は一際大きいでしょう。こういった魅力のおかげか、「重量級経済ゲーム」は誕生は遥か昔であるのに形を変えながら現在も生き残っており、多くの愛好家が存在しています。

 

 

しかし熱狂的なファンがいるものの、全体的に見れば「重量級経済ゲーム」はニッチな存在です。やりごたえという点では現在のヘビーゲームにも引けを取らない「重量級経済ゲーム」が主流になりえないのは、それがいくつかの問題を抱えているからでしょう。

 

その問題とは「ルールが複雑」「プレイ時間が長い」という点です。特に古典的な「重量級経済ゲーム」はその傾向が顕著です。実際の市場経済を反映させようと処理が複雑になっている、プレイ時間が3時間を超えるというのも珍しくありません。
つまり「人を選ぶインタラクションの強いゲームを好んでいて」「難解なルールや長いプレイ時間を気にしない人を」「出来れば3人以上集める」というのは遊ぶハードルが高すぎるのです。もちろんそれを乗り越えて遊ぶ価値はあるのですが、イマイチ流行らないというのも頷ける話でしょう。

 

4.スマートフォン株式会社が受け継いだもの

そういった事情を踏まえた上で、いよいよ『スマートフォン株式会社』の話に入っていきます。今作が発売された2018年は当然インタラクションの弱いゲームが主流派の時代でした。しかし『スマートフォン株式会社』はそれに逆行するかのようにインタラクションの強いゲームになっているのです。

 

処理は簡略化されつつも根本にある「価格を決めて限られた需要を取り合う」というゲーム性は「重量級経済ゲーム」のものと酷似していますし、「エリアマジョリティ」「ネットワークビルド」といったメカニクスを中核においているのは古いタイプのゲームを思い起こさせます。

こういった点から『スマートフォン株式会社』は「流行りを存分に取り入れたゲーム」というよりは「主流派では無くなってしまった古いタイプのゲームや重量級経済ゲームに敢えて目を向け、その面白さを再発掘しようとした作品」と見ることが出来ると思います。


ただ特筆すべきは上記のゲームの要素をただ再現するのではなく、枠組みを借りつつもモダンなアップデートをしっかり行っている点です。

 

いくつか例を挙げるなら『スマートフォン株式会社』では「重量級経済ゲーム」の「価格を下げたくさん売る薄利多売戦略か、シェアはある程度切り捨て利益を追求する高級化路線」といった選択から生じる悩ましさと駆け引きの面白さは継承しています。

しかしルールの難解さや処理の複雑な部分はバッサリと切り落としているのです。経済ゲームでありながらお金といったリソースを採用しないという試み、同時処理のアクションプロット、これらの要素によってゲーム全体が非常にスマートでまとまりのあるものに仕上がっています。

 

そして『スマートフォン株式会社』で最も評価されるべき点だと考えるのは「パッドを用いたアクションプロット」です。これが非常にユニークで新しさに満ちていることが、古い経済ゲームの骨子を引き継ぐ本作をモダンな作品に引けを取らないものに昇華させていると感じます。では一体これはどのようなシステムなのか?次の項で詳しく見ていくことにしましょう。

 

5.パッドを用いたアクションプロット

「2枚のパッドを用いたアクションプロット」というシステムには大きく分けて3つの要素が関わっていると考えます。これを1つずつ見ていくことにしましょう。

 

①アクションポイント制

今作のアクション選択はアクションポイント制、つまり1ラウンドに規定のポイントが与えられ、それを消費してアクションを行う形式だと捉えると分かりやすいです。
プレイヤーには毎ラウンド12ポイント与えられ、それを割り振ることでこのターンのアクションを決めます。しかしこれは自由に行えるわけではなく、後述するパズル要素による制限を受けます。

 

②手番順の競り

今作において手番順は重要な価値を持ち、基本的には先手番ほど有利にそのラウンドを進めることが出来ます。これを決めるために今作では競りの要素を取り入れています。ただ一般的なお金を払っての競りではなく、代わりに参照するのは価格です。プレイヤーは価格を下げることで早い手順を得る、つまりこれは支払うのはお金ではなくそのラウンドの点数効率を犠牲にして手番順を競っていると捉えることが出来ます。

 

③2枚のパッドを用いたパズル要素

ここまで挙げた「①アクションポイント制」と「②手番順の競り」という要素はそこまで珍しいものではありません。しかし「パッドを用いたアクションプロット」が素晴らしいのはこれを同時に行いながら、直感的な操作に落とし込んでいる点です。2枚のパッドを組み合わせるという単純な操作でこれら2点をまとめ上げている点だけでなく、それ自体のパズル要素も悩ましく楽しいものに仕上がっています。また加えてテーマの面で見てもゲームと合致しているとなれば驚異的と言わざるを得ません。

 

と、このように「パッドを用いたアクションプロット」は単体で見ても十分完成されたシステムであり、これを中心として様々な調整が施された『スマートフォン株式会社』は「重量級経済ゲーム」の要素を引き継ぎつつもルールの難易度やプレイ時間を遊びやすいものにしています。

 

もちろん元となった「重量級経済ゲーム」と比べると、同時処理による弊害で濃密さが薄れ、少しパーティ寄りになった部分があるのは否定できません。しかしそれでも「重量級経済ゲーム」が抱えるプレイするハードルの高いという問題を解決しているのは評価されるべき点でしょう。

 

今作を「重量級経済ゲームの枠組みを借りながら、新しい要素を加え、現代的なゲームにアップデートさせようとした作品」と見なすなら、その試みは成功しています。それは『スマートフォン株式会社』が多くの人に指示されたという結果が示しています。

 



 

6.モバイルマーケットの背景

では次に後継作である『モバイルマーケット』が生み出された背景について、簡単に考えていくことにしましょう。とは言っても自分は作者ではないのであくまで推測になるのですが、主に2つの事柄が関係しているのではないかと考えています。

 

背景①:タブロー/エンジンビルドの流行

1つ目は時代が進むにつれて「タブロー/エンジンビルド」といったシステムの人気が高まっていったことです。タブローとは「場」を意味する言葉で、個人ボードなどを強化していくことでアクションや点数効率を高めていく要素があるゲームを意味しています。(今では個人ボードに限らず広い意味でつかわれることも多いです)


「タブロー/エンジンビルド」が流行っていった理由としては、やはり「インタラクションの弱まり」が挙げられるでしょう。沢山の要素から強化するものを選び、自分なりの戦略を組み立てていくという楽しさは時代の流れに上手くマッチしています。また昔は避けられていた複雑なテキストがあるゲームが許容されていったのも原因だと言えそうです。

 

いずれにせよ「タブロー/エンジンビルド」は現在多くの人に支持されており、特に「大量のカードを用いたタブロー/エンジンビルド」といったゲームはリプレイ性の高さやコンボを組む気持ちよさが評価され、今では一大ジャンルを築きつつあります。

こういった流れの中で『スマートフォン株式会社』の後継作を作るとなれば、それをカードゲームとして「タブロー/エンジンビルド」の要素を取り込むというのは自然な流れのように感じます。

加えて『スマートフォン株式会社』と『モバイルマーケット』のデザイナーであるIwan Lashinはその間に『ファーナス』というカードを用いたエンジンビルドのゲームを制作しています。

このことからもデザイナー自身も「カード主体のタブロー/エンジンビルド」の流行に目を向け、それを取り込もうとしているという背景が見て取れるかと思います。

 

 

背景②:パッドを用いたアクションプロットの拡張性

もう1つは『スマートフォン株式会社』のメインシステムであった「パッドを用いたアクションプロット」が他の要素と組み合わせる余地のある、拡張性の高いシステムであった部分も大きいでしょう。
前作では「重量級経済ゲーム」をアップデートするために「パッドを用いたアクションプロット」というシステムを用いましたが、それ自体は前作の「エリアマジョリティ」「ネットワークビルド」という要素と関連があるわけではありません。

何度も述べているようですが「パッドを用いたアクションプロット」はそれ自体で評価できるものであり、なおかつそれを他の要素と組み合わせても特に問題が無いように見えます。だとすればそれに他の要素を取り入れて新しいゲームを作ろうとするのは自然な流れです。

 

 

こういった背景から『モバイルマーケット』が誕生したと自分は推測します。つまり前作が「重量級経済ゲームの枠組みを借りながら、新しい要素を加え、現代的なゲームにアップデートさせようとした作品」とするなら、今作『モバイルマーケット』は「スマートフォン株式会社の枠組みを借りながら、タブロービルドの要素を加え、別の面白さを模索した作品」と捉えることが出来るはずです。

 



7.モバイルマーケットの変化

では実際に『スマートフォン株式会社』から『モバイルマーケット』にはどのような変化がもたらされたのでしょうか?今回の記事の目的は全体の大まかな流れを把握することなので、細かな変化について取り上げません。

しかし『モバイルマーケット』で起きた変化を一言で表すなら「インタラクションが弱まり、代わりに明確な方向性を求められるようになった」だと思います。

 

 

『モバイルマーケット』が『スマートフォン株式会社』に比べてインタラクションが弱まったと考える根拠は「薄利多売戦略」にあります。「薄利多売戦略」の基本は「利益は少ないが、早い手番で需要を枯らし、相対的に優位に立つ」というものです。

相手の需要を潰すことを狙うこの戦略は、その存在自体がインタラクションの塊と言えるようなものです。

 

 

しかし『モバイルマーケット』によって追加されたいくつかの要素によって「薄利多売戦略」が弱体化していると感じます。例えば追加された「原価」という要素は、価格から性能に応じた製造費を引いた分が利益になるというもので、これにより極端な安値を付けることは『スマートフォン株式会社』より難しくなっています。

加えて高級化路線のメインターゲットになる顧客たちは製造費が高いスマホを要求しがちなため、なおさら「薄利多売戦略」でその需要を奪うことが困難です。

また「お得意様」という自分だけの顧客を持てるという要素により、市場のカードが枯れてもある程度対応できてしまう点も要因であると感じます。(一応薄利多売戦略は相性の良いカードが多く用意されているため、そこで戦略毎のバランスを取っているのだろうと思われる)

 

このような「狙って需要を枯らすことの難しさ」「市場が枯れた時の逃げ道がある」ということから、ゲーム全体のインタラクションは前作と比べて弱くなっていると言えるかと思います。

代わりに『モバイルマーケット』では複数のカードを組み合わせて、自分なりに戦略を組み立てる部分が重要になっています。これは今作が取り込んだ「タブロー/エンジンビルド」が持つ要素にゲームの焦点を当てたのだと推測できます。

新しく導入されたカードの効果はどれも強力で、プレイヤーにどの戦略を取るべきかを示してくれます。カードは毎ラウンド補充されるので、それを見ながら最適な戦略を組み立てる必要があるでしょう。

逆に特に何も考えず成り行きでカードを取っていくと、いつの間にか大きな差がついてしまいます。どのカードを取るべきかという戦略性は前作に無い、今作での明確な変化と言えそうです。

 

こうして見ると前作はゲームの焦点をインタラクションに向け、ある程度プレイヤー同士でバランスを取る形だったのに対して、今作はプレイヤーそれぞれが主体的に戦略を練っていく必要があり、より現代風なゲーマー向けの調整が行われているのが分かります。

 

8.後継作としてのモバイルマーケット

ではこのような変化がもたらされた『モバイルマーケット』にはどのような魅力があるのでしょうか?今回はスマートフォン株式会社の後継作として」という目線で『モバイルマーケット』という作品を見ていくことにします。

 

 

まず『スマートフォン株式会社』の後継作として『モバイルマーケット』を評するなら、今作はかなり変わった立ち位置であると思っています。というのも前作の要素をより複雑に盛り込んでゲーマー向けに仕立て上げるのが「正統進化」なら、今作はその流れに沿っていません。前作で大きな役割を果たしていた「ネットワークビルド」と「エリアマジョリティ」の要素をバッサリ削ぎ落し、代わりに「タブロービルド」という前作に無い要素を繋ぎ合わせています。

前作の強いインタラクションに魅力を感じていた人はこれらの変更点に抵抗があるかもしれません。また余計な要素を削ぎ落し、まとまりのある前作に比べると、『モバイルマーケット』はどこか要素を足し合わせたような強引さは感じます。

 

ですがこの大胆な変更点が『スマートフォン株式会社』に新しい風を吹き込んでいる点も事実です。そしてその過程で前作が抱えていたリプレイ性などの問題点を上手く解決しているのも見事です。こうしたアプローチの仕方は「正統進化」の路線ではありえないでしょう。

過去作の焼きまわしではなく、その骨組みを利用しつつも新しいものを作りだそうとするチャレンジングな姿勢は『スマートフォン株式会社』にも共通しており、それだけでも評価するべき点だと感じます。

 

そして何より、前作と方向性は変われど『モバイルマーケット』という作品はきちんとした面白さがあるのです。「重量級経済ゲーム」から『スマートフォン株式会社』に引き継がれた要素へ更に現代的な味付けを加え、「タブロービルド」特有のカードの捲れに応じて戦略を組み立てていく要素もしっかりあります。

 

またインタラクションの強い「スマートフォン株式会社」とソロプレイ感の強い「タブロービルド」の融合は上手く互いの欠点を補っています。

「タブロービルド」の要素は「スマートフォン株式会社」にインタラクションに寄り過ぎない主体的な戦略性を与え、「スマートフォン株式会社」の要素は「カード主体のタブロービルド」では他に見ないほどのインタラクションを吹き込んでいます。

 

この一見歪にも見える組み合わせが、『モバイルマーケット』独自の魅力を生み出しています。『スマートフォン株式会社』の後継作としても、「カード主体のタブロービルド系ゲーム」としても一度は遊んでみる価値のあるタイトルに仕上がっていると感じます

9.総評:どんなプレイヤーにオススメか?

最後にこの記事で登場した「重量級経済ゲーム」「スマートフォン株式会社」「モバイルマーケット」「近年のタブロー/エンジンビルド系」という4つのゲームの立ち位置を簡単にまとめます。またそれぞれのゲームがどんな方にオススメなのかを記して記事の締めとしましょう。

 

もしあなたが「インタラクションの極めて強いゲーム」を好んでいて、なおかつ周りに同じような愛好家が多く存在する環境に身を置いているなら「重量級経済ゲーム」をオススメします。プレイするハードルは高いですが、他のゲームでは味わえないようなシビアで強烈な駆け引きを楽しめます。

 

もしあなたがそういったゲームが好きだけど、それを遊ぶ環境が無い。もしくは重量級ゲームに興味があるがどjれに手を出せばよいか分からないというならスマートフォン株式会社」をオススメします。経済ゲームの面白さを継承しながら、比較的にルールも簡単、プレイ時間も短めと遊びやすい作品です。

 

もしあなたが「インタラクション」に興味が無い、むしろそれを嫌っているのなら「近年のタブロー/エンジンビルド系」オススメします。名作と呼ばれるものが多くありますし、これからも面白いゲームが出続けるでしょう。

 

もしあなたが「タブロー/エンジンビルド」は好みだけどもう少しインタラクションが欲しい、もしくはスマートフォン株式会社が好みだけどリプレイ性などに難を感じているのなら「モバイルマーケット」オススメします。少々荒々しい部分はありますが、それ故独自の魅力が溢れる作品です。

 

 

自分の好みが分からないという人はどれか1つを遊び、「インタラクション」という視点で分析してみると良いでしょう。より強い方が好きなら図の上へ、弱い方が好みなら図の下へ進んでいくと好みのゲームに出会えるかもしれません。

 

この記事が素晴らしいゲームと出会うきっかけになれば、僕としては嬉しく思います。

それではここまで長々とお読みいただき、ありがとうございました。

パチスロシミュレーター:サポートページ

この記事は『パチスロシミュレーター』のサポートページです。

 

【①記録シートの予備】

ゲームで使用する記録シートが足りなくなった方のために、記録シートのデータを公開します。こちらからダウンロードし、A4サイズで印刷してご利用ください。

drive.google.com

 

【②バリアントルール】

スペースの関係で説明書に入れることが出来なかったバリアントルールをここに載せておきます。些細なものではありますが、ゲームにアクセントを加えたい方は是非お試しください。

 

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6.0 バリアントルール

プレイヤーの習熟度に応じて以下のルールを導入してみても良いでしょう。

この他にもプレイヤー同士が合意するなら、好きにルールを変更しても構いません。

6.1「時間の調整」

「メインフェイズ」と「時間調整フェイズ」は時間が定められていますが、プレイヤー同士が合意するなら、その時間を増やしたり、減らしたりしても構いません。

ただしこのルールを導入するかはゲーム開始時に決定してください。

ゲームの途中で時間を変更してはいけません。

6.2「長い一日」

これはラウンドの概念を無くすルールです。

プレイヤーは一番初めの「抽選フェイズ」が終了した後、「メインフェイズ」を20分間行います。それが終了したなら、「設定開示フェイズ」に入ります。

【アクション:稼働終了】はメインフェイズ中ならいつでも行うことが出来ます。

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【③カードサイズ】

パチスロシミュレーター』にスリーブを使用したい方は「名刺サイズ」のスリーブをお買い求めください。ゲームで主に使用する「小役カード」の枚数は「120枚」、その他カードも含めると全部で「131枚」です。

 

 

【④問い合わせ】

ゲームについて何か分からないことがある、聞きたいことがあるという方は、Megalomaniac Game公式ツイッター(@Megalomaniac_G)にDMをしていただくか、こちらのアドレス(megalomaniacgame@gmail.com)にメールを送ってもらえるとお答えできるかと思います。よろしくお願いします。

パチスロシミュレーター:デザイナーズノート

1.はじめに

 この記事はゲームマーケット2022秋にて発売される新作ボドゲパチスロシミュレーター』の作者が、なぜこのようなゲームを作ったのかを自分で解説する記事だ。

 言うなればデザイナーズノートの様なものだが、そこまで厳かなものではない。ほとんどの人にとっては興味がないものだろうけど、ゲーム制作者の思考が知りたいという酔狂な人が読んでくれると嬉しい。

 

内容は『パチスロシミュレーター』のシステムについて細かく解説……というよりは「パチスロ」がテーマのゲームを何故作ることになったのか、つまりコンセプトの話が中心になっている。ゲーム自体に興味がない人でもそれなりに楽しく読めるようにはするつもりである。

 

パチスロシミュレーター』がどんなゲームか知りたい方はこちらの記事をどうぞ。

gamemarket.jp

 

2.僕がこの記事を書いている訳 ~同人ゲームの魅力~

 僕は「パーティ太郎」という(ふざけた)名前で同人ゲームを製作している。これまで2つのマーダーミステリーと2つのボードゲームを世に出した。

そして来たる10月29日に開催される「ゲームマーケット2022秋」でも新作を発売する予定だ。そしてこの大量の同人ゲームが発売される「ゲームマーケット」というイベントは非常に楽しく、エキサイティングなイベントだと僕は思う。

 

 だけど「同人ゲームはハズレが多く、値段も割高。評判の良いゲームは後から出る商業版を買えばいい」という考えの人も結構いるだろう。この意見は実際的を得ている。同人ゲームの多くは所謂普通のボードゲームと比べて調整が荒いゲームは多いし、コンポーネントも値段の割にはチープになりがちだ。

 たまに化け物みたいな傑作が発売されることもあるが、それを探すため毎回イベントに行き、ゲームを大量に買うというのは、あまりに割に合わない行動だと思う。

 

じゃあ同人ゲームの魅力は何だと聞かれたら、僕は「商業作品と比べると制約無く、好き勝手作れること」だと思う。

同人ボードゲームは基本的に制約がない。

お金というリスクを払えば好きな作品を創ることが出来る。

それだから商売というよりは、自分の好みをこれでもかというくらい詰め込んだゲームや、尖がったゲームを出すことも出来る。勿論それが売れるかとか、評価されるかというのは別としてね。

「俺の好きなものを詰め込んだからていってくれ!」みたいなゲームはとても楽しい。作品を通して作者を知れるというのが同人ゲームの大きな魅力だと僕は感じている。同人ゲームにおいて作者の存在は極めて大きいものだと言えるだろう。

 

(まあ実際には全ての同人ゲームがそうではないし、大手が発売しているようなボードゲームが作者の好みやこだわりを反映していないのかというと全然そういうわけではないが……しかしゲームマーケットのような即売会は、作者が手渡しで商品を売るというのも相まって、そういった幻想を抱かせてくれる場だと思う)

(文字ばかりの記事を憂いて挿入される特に意味のない画像)

 

だからこそ僕は同人ゲームの作者には、自分の作品のシステムやコンセプト、どういった意図で作ったのかをもっと解説して欲しい。例えば「〇〇というゲームが好きなんですが、△△の部分が現代的ではないと感じたので、このような意図でアレンジしました!」と示してくれれば、ゲームをプレイするときにそのような角度で評価して楽しむことが出来る。

実際にその試みが成功していなくても、コンセプトが明瞭に示されているなら、それが「なぜ上手くいかなかったのか」を分析して楽しむことが出来るからだ。そういったことが出来るのが、購入者と作者の距離が近い同人ゲームならではの魅力だと言えるのではないだろうか。

 

これが一般的なものかは分からないが、僕はこういう考えでゲムマを楽しんでいるし、ゲームを製作している。僕が毎回自作ゲームの紹介を書いて制作意図を示すのは、こういった考えによるものだ。

勿論ゲーム単体で見ても、僕自身は面白いと思えるものを作っている。

だけど僕はまだまだ未熟だし、試みが上手く成功しているかは分からない。

実際買ってみたけど、自分とは合わないということもあるだろう。

 

そういう時のために、様々な角度からゲームを楽しめるように、自分の考えや制作意図を書き記している。この記事を書いているのもそういう理由だ。

 

 

3.何を重視してゲームをやるのか?

じゃあ次に今回は何をコンセプトにしたのかという話に入っていこう。

その前に1つ、「ゲームをプレイする際に何を重要視するのか」という部分に触れておきたい。

「何を重視してゲームをやるのか?」、この答えは人によって千差万別だ。

コミュニケーションツールとしてゲームをやるのか、システムの美しさを重視するのか、はたまたテーマへの没入感を求めるのか。

これらの要素はどれも多かれ少なかれ、僕もゲームに求めているものではある。

でも僕が何を重視してゲームをプレイしているかというと「新しいものに出会いたいから」というのが一番だと思う。

今までの自分が触れたことのない新しいシステムやアイデアに触れるのは、非常に刺激的で楽しい瞬間だ。勿論システムが洗練されたゲームだって楽しむが、一番底の部分にはそういったもの出会いたいという気持ちが常にある。(だからゲームマーケットが好きなのかもしれない)

(アナログにしろデジタルにしろ、新しいものに触れるのはいつだって楽しい)

 

それだから僕は自分が制作するゲームに「何らかの新鮮さ」を取り入れたいと思っている。でもこれは思っている以上に大変なこと。だって僕らは天才ではないからだ。

基本的に僕らが思いつくアイデアは、知らないだけでどこかで試されていたり、組み込んでみようと考えたが欠陥があって没になっていると思った方がいい。

人類の長い歴史の中で自分が一番初めに思いついた、と考えるのは客観的に自分を評価できる程の知識と経験が無いか、それか本当の天才のどっちかだろう。

 

それに「独創的」と評されるゲームの全てのシステムが、これまで見たことない新鮮なものかというとそうではない。中核となるアイデアは新鮮でも、その脇を固めるシステムはこれまでのゲームを土台にしていたり、それまでのゲームジャンルを踏まえた上でひねりを加えたり。そういったゲームが「独創的」だと評価される。

 

要するに何が言いたいのか。

つまり「何らかの新鮮さを取り入れたゲーム」を作りたいのなら、他のゲームの知識や分析が必須だと言うことだ。だからこそ、僕はどのようなゲームを作れば「新鮮な体験」をプレイヤーに与えられるかを考えることにした。

 

4.新しさに満ち溢れた2つのゲーム

ではここで僕が「独創的」だと感じたゲームを2つ紹介しよう。

前例を見ることで何かしらの共通点が見えてくるかもしれない。

 

1つ目は『ミレニアムブレード』だ。

『ミレニアムブレード』はいわゆるTCGをモチーフにしたボードゲームだ。

基本セットだけでも600枚を超えるカードが登場する、この(イカれた)ゲームは様々なアイデアに満ちている。例えばボードゲームの要素とTCGの要素が組み合わさった戦闘システムや、デッキ構築が主流のボードゲームにおいて、あえて構築と戦闘のフェイズを切り離し、リアルタイムで管理させるという部分も特筆すべきところだ。

 

だがやはり『ミレニアムブレード』の何が一番「独創的」だったのかと言われれば、大量のカードを用いてTCGのゲームとしての面白さ」ではなく、「TCGを趣味として遊ぶ面白さ」を再現しようとした点だろう。

『ミレニアムブレード』では「パックを向いて強いカードが当たる」「出たカードで自分だけのデッキを作る」「シングルを売買してカードを揃える」「友達とカードをトレードする」「コレクションを作る」といったTCGを遊ぶ上で必要不可欠な体験をゲームに取り入れている。TCGライクなボードゲームは沢山あるが、基本的にそれらの多くは「カード同士のコンボ」「プレイヤーの読み合い」といった「TCGというゲームの面白さ」を追求したものだった。

ゲームシステムだけ見るなら、かなり荒々しく実力だけではどうにもならない部分はある。しかし『ミレニアムブレード』のこの一連の試みは、とても新鮮でエキサイティングなものに思えた。

 

2つ目のゲームは『タイムオブサッカー』だ。

これは見た通りサッカーをテーマにしたゲームだ。

プレイヤーはサッカークラブのオーナーとなって強いチームを作り、優勝を目指す。

いわゆる「スポーツ経営シミュレーションゲームボードゲームに落とし込んだものだといえるだろう。(わかりやすいのはサカつく

このゲームがイカれているのは120分でサッカーの1シーズンを全てやりきろうとしている所にある。プレイヤーは選手を集めてチームを作る。そのステータス管理は複雑で難解、だからこそやりごたえがあるシステムになっている。

そして選手だけでなく、チームを管理するスタッフや広告の獲得といったものも同時に行わなくてはならない。プレイヤーはチームに関わるあらゆるものに対して決定を下さねばならない。

そうやって強いチームを作っても、試合はダイスで行われ、圧倒的に有利な状況でも負けることはあり得る。これを運ゲーだと評する人もいるだろう。(実際そう)

だが僕は絶対に勝つ、絶対に負けることがないからこそ、ダイスの出目に一喜一憂できるし、サッカーというスポーツが持つ熱を上手く表現できていると感じる。システムの特異性も相まって『タイムオブサッカー』は他のゲームでは味わえない楽しさに満ちている。

 

5.2つのゲームの共通点は何か?

『ミレニアムブレード』と『タイムオブサッカー』、これら2つは「独創的」なゲームであると思う。ではこれらに共通点を見出すことは出来るのだろうか?

 

僕はこれら2つのゲームは「別のジャンルの面白さを再現しようとしたもの」だと考えた。例えば『ミレニアムブレード』はTCGという1つの遊びに触れる上で体験できる面白さや感動を上手く再現しようと試みている。

『タイムオブサッカー』はサッカークラブ経営という枠組みの中で、戦略を立てる楽しさや試合結果に一喜一憂する面白さを再現しようとしている。

 

これらの面白さは本来TCGのコミュニティ」や「スポーツ経営シミュレーション」で味わえる類のもだ。それらを親しんでいる人にとってはいつも味わっている面白さと言えよう。しかし普段それに触れていない人にとってはとても新鮮なものに見えるのではないか?

 

僕が注目したのはこの部分だ。

もし「別の遊びやジャンルの面白さを再現すること」が出来たなら、それはボードゲーマーには新鮮なゲームとして受け入れられるのではないか?

 

この実験的な考えが、今作『パチスロシミュレーター』を作るきっかけになっている。そして面白さを再現しようとしている遊びとは当然パチスロのことである。

 

6.パチスロの面白さとは何か

なぜ「パチスロ」というテーマでゲームを出したのか、これにはいくつか理由がある。

例えば販売戦略の面。ゲムマでは大量のゲームが発売されるため、どうにかして注目して貰う必要がある。その中でパチスロというあまり見ないテーマはアピールポイントになると考えたからだ。

 

だが一番の理由は「パチスロ」が独自のゲーム性を持っているからだ。

その前にパチスロについて詳しくない人がいるだろうか軽く解説を行おう。

 

パチスロの面白さとは何か。これも人によっては様々だろう。

単純に金が増減するギャンブルとしての面白さ、または光と音が作り出す演出が堪らないという人もいるだろう。だが僕はパチスロの面白さは「設定判別」というゲーム性にあると考えている。

 

そもそもパチスロはどのような理論で勝つギャンブルなのか。

スロット台には「設定」というものが存在する。設定は大まかに1~6まで存在し、パチンコ店はそれを1日単位で好きに変更することが出来る。

「設定」にはず~っと打ち続けてたら、これくらい儲かるよ、これくらい損するよ、という基準値(機械割という)が定められている。もちろん必ずしもその基準値通りになるわけではないが、長い目で見ればその基準値に収束するようになっているのだ。

つまり台に座る前から設定が分かっているなら、基本的にパチスロは絶対に負けないギャンブルだと言ってもいい。だがそんなに簡単な話ではなく、見た目だけでは設定を見分けることが出来ない。

だからプレイヤーは実際に遊戯して、データを取って設定を調べていく。

この「設定を少しずつ探っていく」というのがパチスロのゲーム性だ。

 

僕はそこまでパチスロを打つわけではないが(こうやって書くと言い訳みたいで嫌だけど)、初めてそれに触れた時、このゲーム性は新鮮で面白いと感じた。

この体験はパチスロ独自のものだし、「別の遊びやジャンルの面白さを再現すること」においてはもってこいのテーマだ。こうしてパチスロの面白さを再現すること」をコンセプトに決めて、『パチスロシミュレーター』の制作が始まった。

 

7.面白さの再現

この記事ではそれぞれシステムについて細かな解説を入れることはしない。

何故ならそんな話をし出すと、更に難解で分かりにくい話になってしまうからだ。

もし機会があったら、ゲームの変遷を細かく記載するかもしれない。が、今回ではない。ここでは製作する上で意識していたことを簡単にまとめる程度にしておこう。

 

パチスロシミュレーター』を製作する際、特に意識したのは2点。

①「設定判別」をゲームの中心に添える

②「テーマの再現」ではなく、「面白さを再現」すること

 

1つ目の「設定判別をゲームの中心に添える」、これは『パチスロシミュレーター』があくまで「設定判別をボードゲームに落とし込む」のが主目的であることを意味している。

例えば『パチスロシミュレーター』では専用のシートとペンを使うので、既存の紙ペンゲームなどの要素を取り込むことも出来た。確かにこれは実際に試したし、そう悪いものではなかった。しかし「紙ペン的面白さ」と「設定判別の面白さ」が綺麗に合体しているというよりは、それぞれの要素が独立した面白さを主張しているという印象を受けた。

であるならば、いろんな要素を足すよりも「設定判別の要素をボードゲームに落とし込む」という部分をより強く押し出した方が引き締まったゲームになるのではないかと感じた。『パチスロシミュレーター』は既存作品のシステムを踏襲したというよりは、ワンアイデアを煮詰めて出来上がったゲームだ。

要素を足してバランスを取るより、ワンアイデアの鋭さで勝負する方が効果的であると考えた。そのため「設定判別」以外の要素はあまり取り入れず、入れたとしても目立ちすぎないように調整を行うことにした。

(ゲームの中心はあくまで6つの山札の推測すること)

 

ゲーム的に物足りなさを感じる人がいるかもしれないが、僕は「30分のゲーム」としてはこのくらいシンプルな方が良いと感じている。

 

 

 

2つ目は「テーマの再現ではなく、面白さを再現すること」

パチスロシミュレーター』は現実のパチスロを意識しているが、実際のスロット台と異なる部分は多く存在している。パチスロに詳しい人が見たら、「そうじゃないだろ!」と叫びたくなる部分もあるんじゃなかろうかと思っている。

だが僕がやろうとしたのは、あくまで「面白さの再現」であって、「テーマの再現」ではないのだ。「別の遊びの面白さを再現すること」と「テーマを再現すること」は全く別のものだと思って欲しい。

例えば選挙をテーマにしたゲームがあったとしよう。

「テーマの再現」にこだわって実際の規則や法律を限りなく再現したゲームが出来上がったとする。だがそれは本当に面白いゲームなのだろうか?いや、きっとそれは複雑な処理が大量にある面倒なゲームでしかない。(これはこれで好きな人はいるだろうが)

 

つまり僕が言いたいのはテーマを再現するのが必ずしも良いとは限らないってことだ。

僕らが作るのはあくまでゲームで、それは楽しいものであるべきだ。

だからパチスロの面白い部分、人から愛される部分はしっかり抜き出しつつも、その再現にこだわり過ぎないように気を付けた。結果、「らしさ」と「面白さ」が両立した作品になっていると思う。

 

8.考察:なぜパチスロボードゲームが存在しないのか?

まとめに入る前にもう1つだけ触れておきたい議題がある。

それは「なぜパチスロボードゲームが存在しないのか?」という点だ。

僕は『パチスロシミュレーター』を作成する際に、似たようなコンセプトのゲームが無いのか調べた。だが僕が調べた限りではパチスロの設定判別」をテーマにしたゲームは見つからなかった。(単純に僕のリサーチ能力が足りてないのもあるけど)

ここで「僕が初めて思いついたんだ!やったー!」と考えるのは危険だ。

先に述べた通り、自分が思いつくアイデアは他人が既に考え付いていると思った方がいい。だとするならなぜパチスロのゲームが出ないのか?これは「パチスロのゲーム性」がいくつかの問題を抱えているからだと僕は考えている。

ここでは僕が考えた「パチスロボードゲームに落とし込む」際の問題についていくつか取りまとめることにしよう。

 

【問題①:パチスロのゲーム性は長時間の遊戯で成立するものであること】

パチスロにおいて設定を推測することがメインのゲーム性だと述べたが、実際にはそれは非常に長い時間かけて行うものだ。パチスロの場合、2~3時間とかそのくらいの時間をかけなくてはゲームとして成り立たない。これは大量のデータから設定を推測するというゲームを成立させるにはしょうがない部分ではある。しかし結果としてプレイヤーは長い時間単純な動作をずっと繰り返すことになる。パチスロの場合、これをギャンブルという要素や演出で誤魔化しているが、ボードゲームの場合はそうもいかない。

パチスロのゲーム性を再現するためには「データ集め」という段階を踏む必要があり、それは単調で退屈なものになる可能性が高い。

 

【問題②:事前に知識を入れておく必要があること】

パチスロで設定判別をする上で必要になるのは台の知識だ。

どういった部分に設定差があるのか知っておかなければ推測することも出来ない。

これをそのままボードゲームに落とし込むとなると、プレイヤー全員に事前に攻略法を憶えて貰う必要が出てくる。それは非常に手間だし、面倒だ。ゲームをプレイする前に何かを憶える必要があるというのは、プレイヤーにとってはプラスの要素ではない。



他にも挙げようと思えばいくつかあるのだろうが、僕はこの【問題①】と【問題②】が特に大きな課題であると考えた。一応『パチスロシミュレーター』ではこの問題に対して対策を行っている。

例えば【問題①】に対しては、それぞれの設定差をかなりわかりやすいものにすることで、そこまで長い時間を掛けずにも推測が行えるようにしている。加えてリアルタイムでゲームを管理し、決められた時間で必ずゲームを終了させることで、同じ動作の繰り返しというストレスを許容できる範囲に抑え込もうと試みている。

【問題②】に対しては説明書に「設定判別の進め方」という簡易的な攻略法を付属し、初プレイの際にそれを共有するように指示することで、何も分からないという事故が起きる可能性を減らしている。また、ついたてに記載された各設定ごとのグラフは、初心者が直感的に推測が行えるように実装されたものだ。

(プレイヤーはグラフを用いてざっくり推測することもできる)

 

このように2つの問題に対して対策を講じてはいるが(実際僕は許容できる範囲だと判断した)、この部分がウィークポイントであることは違いない。

パチスロシミュレーター』でも「大量のシャッフル」という事象を生み出しているし、よく分からないままゲームを始めて何も分からないまま終わるというプレイヤーが発生する可能性はある。

 

もし今後似たような要素でゲームを作ろうとするなら、この2つの問題は大きな足かせになるだろう。だが同時に「設定判別の要素」、というかある程度の法則で生成されるデータを基に推測を行うという要素には可能性も感じている。

今回はその部分に可能な限りスポットライトを当て、「パチスロ」というテーマでまとめ上げたが、それにこだわらずとも他のゲームに実装できるシステムではないか。例えば単調になりがちな「データ集め」の部分を、何か別の要素を足して面白さを補填できるのなら、別の形でゲームを完成させることも可能だろう。

 

パチスロシミュレーター』を面白いと感じてくれた誰かが、似たようなアプローチでゲームを作ってくれないかなと、僕は期待している。

勿論、この記事を読んでいる君たちがやってくれても構わないよ。

 

9.まとめ

長くなったから、最後に要点をまとめよう。

①同人ゲームの魅力は「作者がある程度好き勝手に制作できること」

②だから同人ゲームの作者はコンセプトを明確に示すべき。

③何か「新しい体験」が出来るゲームを製作したかった。

「別の遊びやジャンルの面白さを再現すること」で、それに馴染みが無い人にとっては新鮮なものに見える。

⑤今回やろうとしたのはパチスロの面白さ」を再現すること。

「設定判別」をボードゲームに落とし込むという軸はぶらさない。

⑦あくまで「テーマの再現」ではなく「面白さの再現」を目指す。

パチスロのゲーム性をボードゲームに落とし込むのには課題もあるが、発展の余地も残っている。

 

さあ、長かった記事もこれでおしまい。

最後の方は「公式がネガキャンしてんのか?」と疑うような内容になったが、興味をもってくれた人には誠実な方がいいだろう。それに記事で挙げた問題は確かにありつつも、今作ではそのストレスを出来るだけ軽減するようにもしている。

そして何よりも当初の目的、パチスロの面白さを再現すること」、「新しい体験が出来るゲームを作ること」といった部分に関しては間違いのないものが出来たはずだ。僕自身は『パチスロシミュレーター』をかなり面白い作品だと思っているよ。

洗練された傑作……という感じではないかもだけど、荒々しく尖がった同人らしい魅力の詰まったゲームではある。少しでも興味を持っているなら是非遊んでみて欲しい。

 

パチスロシミュレーター』はゲームマーケット2022秋に「土イ37‐サイシュピール」ブースにて販売される。価格は2500円。

確実に手に入れたい方はこちらの取り置き予約フォームの利用がオススメだ。

ゲムマ2022秋「サイシュピール」取り置き予約フォーム

 

 

買ってくれた方は普通に遊んで楽しむのも良し。

この記事にいくつか示した、

・本当に『パチスロシミュレーター』は新しい体験が出来るゲームか?

・「別の遊びやジャンルの面白さを再現する」という手法は再現性があるのか?

・「パチスロの面白さ」をきちんとゲームに落とし込めているのか?

・「パチスロ」の要素をゲームに落とし込む時ネックになるのは何か?

といった視点で分析して楽しんでもいいだろう。それでレビューなんか書いてくれたら僕としては最高だ。

まあいずれにせよ、どんな形であれ楽しんでくれたら、作者としては嬉しいな。

是非ゲームマーケット会場でお会いしましょう。

 

10.おまけ

この記事を読んで興味を持ってくれたなら、是非僕が過去に出したゲームもチェックしてみて欲しい。特にボードゲーム2種はゲームマーケットにも持ち込むから、ついでに買ってみるなんてことしてくれたらとっても嬉しい。

 

コンクルージョンは3人用トリックテイキングゲーム。

コンセプトは「コルージョンを3人用にアレンジしつつ、遊びやすくすること」

▼紹介記事

ゲーム紹介『コンクルージョン』 - ボードゲームの妄想書き散らし処

 

『解脱RTAは3~4人用の小箱ゲーム。

コンセプトは「30分で手軽にマルチの面白さを味わえるゲーム」

▼紹介記事

新作ボドゲ【解脱RTA】発売前パーフェクト攻略ガイド | 『ゲームマーケット』公式サイト | 国内最大規模のアナログゲーム・ テーブルゲーム・ボードゲーム イベント

 

『七つの死体と一人の男』は2人用マーダーミステリー。

コンセプトは「初心者が1時間でマダミスの面白さを体験できるゲーム」

▼ゲーム(無料です)

2人用マーダーミステリー『七つの死体と一人の男』|パーティ太郎|note

 

『超能力者バトルロワイヤル』は5人用マーダーミステリー。

コンセプトは「パッケージでマーダーミステリーを作る意味」

ただこの作品は今在庫が無いから買うことは出来ないけど……

 

 

MegalomaniacGame公式アカウントはゲームに関する最新情報を呟いている。

興味を持ってくれた方はぜひフォローを!(@Megalomaniac_G)

 

 

ゲーム紹介『コンクルージョン』

【Megalomaniac Game】は2022年9月3日・4日に開催される「ボードゲーム大祭2022」にて新作トリックテイキングゲーム、『コンクルージョン』を頒布します。

 

今回の記事ではこの謎に包まれたゲームについて

・いったいどんなゲームなのか?

・どんな人にオススメなのか?

を紹介する予定です。是非ご購入の参考にしていただけますと幸いです。

 

1.概要

コンクルージョン

プレイ人数 3人専用

プレイ時間 45分

対象年齢  10歳以上

 

コンクルージョン』はトリックテイキングと呼ばれるタイプのゲームです。

ゲームで使用されるカードは3色、各1~16まで存在する「数字カード」と1枚だけある「秘密兵器カード」という特殊札を加えた全49枚を用います。

基本的なルールはマストフォローあり、切り札無しのシンプルなトリックテイキング。

しいて特徴を挙げるなら、トランプで遊ばれるようなトリックテイキングと比べて1スートが長いのと、切り札無しという性質から、期せずして勝つ、負けるというのは起こりにくい印象です。

強いカードはきちんと勝つ(勝ってしまう)し、弱いカードで勝つのは困難です。

 

 

2.ラウンドの進行

ゲームはラウンドという単位で進行します。

ラウンド終了時に誰かが定められた点数を取っていればそこでゲーム終了、そうでなければラウンドを繰り返す……と、これもまたオーソドックスな流れ。

 

ラウンドは次の5つのフェイズで構成されています。

①準備フェイズ

②貿易フェイズ

③公約フェイズ

④会議フェイズ

⑤決算フェイズ

なんだか難しそうですが、実際のルールはシンプルなので安心してください。

では実際にラウンドがどのように進行していくのかを簡単に見ていきましょう。

 

①準備フェイズ

このフェイズで行うのは「カードの分配」です。

数字カード48枚をよく混ぜ、全てのプレイヤーに13枚ずつ配ります。

余った9枚のカードは全て見えるよう表向きにしてテーブルの上に並べます。

このテーブルの上に表向きに置かれたカードは『場札』と呼ばれ、後のゲームにおいても非常に重要なものになってきます。

 

②貿易フェイズ

このフェイズで行うのは「カードの交換」です。

マリガンや引き直しといったものを想像して貰った方が分かりやすいかもしれません。

 

スタートプレイヤーから順に、望むなら「カードの交換」を1回だけ行います。

「カードの交換」を行うなら、自分の手札から1枚選び、場札に加え……

その後、場札から1枚選び、自分の手札に加えます。

 

これを1手番ずつ行ったなら、脇に避けておいた「秘密兵器カード」を場札に加え……

貿易フェイズは終了になります。

 

③公約フェイズ

このフェイズでは「このラウンドでいくつトリックを取るかの予想」を行います。

宣言した数字と実際の勝利数を一致させることで点数が貰える、いわゆる「ビッド」と呼ばれるシステムですね。

 

公約フェイズではスタートプレイヤーから順に数字を宣言し、その数字を忘れないようにメモをしておきます。これで公約フェイズは終了になります。

 

 

④会議フェイズ

さあ次に行う会議フェイズでは実際に「トリックテイキング」を行います。

さっきも述べた通り、マストフォロー・切り札無しのルールで進行し、全員の手札が無くなるまで、つまり必ず13回トリックを行います。

それが終了した時点で、次の決算フェイズに入ります。

 

⑤決算フェイズ

決算フェイズで行うのは「得点の計算」です。

今回トリックに何勝したのかに応じて、得点を得られます。

先ほども述べた通り、この時に誰か一人でも累計得点が30点を超えていればゲームは終了し、得点の一番高い人が勝利。そうでなければラウンドを繰り返すという流れ。

 

 

3.ゲームの特徴

と、ここまでだと「カードの交換」などの要素はありながらも、ビッドを取り入れたよくあるトリテのように見えます。

では次にこのゲームの特徴、いわゆるセールスポイントを

①得点計算   ②交渉  ③NPC

の3要素に絞って解説していこうと思います。

 

①得点計算

トリテにおいてどのように点数を得るのか、というのはそれだけでどんなゲームか説明してしまえるほど非常に重要な要素と言えるでしょう。

コンクルージョン』ではビッドの要素があり、実際にそれを的中させることで点数を得ることが出来ますが、実はそこで得られる点数は微々たるものです。

それどころか、ぴったり一致させなくても、宣言した数の+-1でも点数が入るとため、コンクルージョン』におけるビッドは非常に緩く、重要度は低めです。

 

 

ではどのように点数を得るのか。

コンクルージョン』にて最も効率よく点数を得る方法は「他のプレイヤー1人と勝利したトリック数を揃えること」です。

これを達成することで大きくボーナス点を得ることが出来るため、基本的にプレイヤーはこれを目指していくことになります。

 

「他人と勝利数を揃える」、これはシンプルながらジレンマを生みます。

自分だけがトリックを勝ちすぎてもいけない。

反対に自分だけがトリックに負けすぎても駄目。

状況に合わせた立ち回りが求められます。

ですがこれは手札の強弱がどうであれ、立ち回り次第で点数を取ることが出来る事を示しています。あなたがどんな手札でも抗うチャンスは残っているのです。

 

②交渉

点数獲得の為に活用すべきが2つ目の「交渉」という要素です。

実はこのゲーム、いつでもプレイヤー同士で「交渉」を行ってもよい、というルールがあります。交渉と言っても手札の交換や公開、点数のやり取りといったことは出来ませんが、話す内容についての縛りは特にありません。

「自分の手札が強い・弱い」「一緒に〇〇点取る事を目指そう」「〇色のカードでリードして欲しい」など自由に交渉によって話し合うことが出来ます。

上記のボーナス点は自分一人だけでは得ることが出来ません。

交渉によってプレイヤー同士の足並みを揃えることは必要不可欠です。

ただし交渉での約束に拘束力は無く、嘘を吐くことも可能なため、相手の事を信じすぎてしまうのも危険かもしれません……

 

NPC

そして3つ目の重要な要素が「小国連合」と呼ばれるNPCの存在です。

 

ラウンド開始時点ではプレイヤー3人だけでトリックテイキングを行います。

しかし誰かが最初にトリックに3回勝利すると、そこから先のトリックに「小国連合」という第4陣営が参加してきます。

「小国連合」はいわゆるNPCであり、4人目のプレイヤーのような存在です。

「小国連合」は自分の手番になると、プレイヤーと同じようにカードをプレイします。しかし「小国連合」には手札が存在せず、場札からプレイするカードを選びます。

 

この時、ポイントになのが「小国連合」がプレイするカードを選ぶのは、このラウンドで一番最初にトリックを3回勝利したプレイヤーだという点です。

つまりラウンドの序盤に3回勝利すれば、NPCのコントロールを得ることが出来るため、そのラウンドの展開をある程度操る事が出来るでしょう。

しかし「他人と勝利数を揃える」ことを狙う上で序盤に勝ちすぎてしまうのは、あまり良い選択ではありません。というのも勝てば勝つほど他人と勝利数を揃えるのは困難になるからです。

プレイヤーは勝利数を抑えて様子を見るか、トリックに勝利して「小国連合」を味方につけるか、この序盤の選択は非常に悩ましいものになるでしょう。

 

他にもこのNPCの存在は、NPCと勝利数を揃えて自分だけボーナス点を得る、カード交換がマリガンだけでなくNPCが出せるカードを操作するために行う、など様々な戦略を生み出してくれます。

 

4.どんな人にオススメか?

コンクルージョン』には特殊札がほとんど存在せず、切り札が無いことから予想外のことが起こりにくく、トリックに勝つか負けるかの予想は比較的容易です。

逆に特殊札や切り札で誤魔化しが効かないため、自分がどうやって得点を得るのかをしっかりと考えなければ勝利するのは難しいでしょう。

また自分のミスが相手の点数を大きく伸ばしてしまう可能性もあります。

 

これらの面から総合して『コンクルージョン』はシビアなゲームです。

そういったじっくりと考えるようなトリックテイキングが好みの方にはオススメです。

 

逆にゲーム展開に派手さは無く、かなり地味なゲームだとも言えます。

また革新的なアイデアを中心に据えたゲームでもないため、同人ゲームに斬新さや新鮮さを求めるような人にとっては物足りないかもしれません。

加えてトリックテイキングをほとんどやったことない方には少し難しく感じるかもしれません。

 

5.まとめ

以上で『コンクルージョン』の紹介を終わります。

 

この記事で少しでも興味を持ってくれた方は、是非とも「ボードゲーム大祭」にて買ってみてください。値段もかなりお求めやすいものになっています。

コンクルージョン』は9月3・4日の「ボードゲーム大祭」の【さくらの間-40『輪骨舎』】ブースにて発売予定です。価格は1000円です。

 

 

6.おまけ:『コルージョン』と『コンクルージョン

コンクルージョン』はトランプで遊べる『コルージョン』というトリックテイキングをベースに作られています。(タイトルもそれを意識したものになっています)

『コルージョン』は古いゲームでありながらも大変面白く、『コンクルージョン』の交渉や得点要素はほとんどそれと同じものになっています。

僕はこの『コルージョン』というトリテが好きなのですが、4人専用という部分がネックであまり遊ぶ機会が多くはありませんでした。今回『コンクルージョン』というゲームを作ろうと思ったのも3人で『コルージョン』の面白さを味わえるゲームが欲しいと思ったからです。

そして3人で遊べるようにルールを考えていく中で、元のゲームで自分が気になっていた「序盤で勝利することの価値の低さ」「序盤何を目安にプレイすればいいか分かりにくい」といった部分を、NPCやビッドという要素を取り入れることで改善しようとしています。

そのせいで元々のシンプルさが薄れてしまった部分はあるのですが、これはこれで違った面白さが味わえるゲームになっていると思います。『コルージョン』をプレイ済みの方はプレイ感の違いを比べてみるのも面白いでしょう。

 

そして『コルージョン』をプレイしたことない方は、一度そちらの方を遊んでみて購入するかどうか決めてもいいと思います。また『コンクルージョン』が面白かったなら、是非とも『コルージョン』もプレイしてみてください。とても良いゲームです。