ボードゲームの妄想書き散らし処

作ったものとかまとめます。

【ハイスコアラー1986:デザイナーズノート】

【①はじめに】

この記事はボードゲーム大祭2023にて発売される新作ボードゲーム『ハイスコアラー1986の作者が、なぜこのようなゲームを作ったのかを自分で解説する記事だ。

 

『ハイスコアラー1986』がどのようなゲームかはこちらの記事で詳しく解説している。出来ればこちらを先に読んで貰えるとこの記事が理解しやすいかと思う。

megalomaniac-game.hateblo.jp

 

ただ出来る限りこの記事では制作話だけでなく、既存のゲームに対する作者の考察や分析を多く書くつもりである。そのため作品にあまり興味が無い人でも、何かと楽しめる部分があるかもしれない。(特に前半部分は既存の作品の分析がメインである)

そこまで言うならとりあえず読むか……となってくれれば作者としてはとても嬉しい。

では前置きはこのくらいにして早速本題に入ろう。

 

 

今作『ハイスコアラー1986』は少し変わった構造の多人数ゲームである、

「スコアラー」と呼ばれるプレイヤーが1人いて、ダイスとカードを用いたソロゲーに挑戦する。他のプレイヤーは全て「観客」という立場を担当し、「スコアラー」のゲームを観戦しながら別のゲームを行う。

これは1つのゲームの外側に別のゲームがある、所謂「メタ構造」のような作りになっている。今作がこのような面倒くさい作りになっているのはただ「奇をてらった」わけではない。僕としては明確な理由があって、このような構造のゲームを制作した。

 

では何故こんなゲームが出来上がったか、それに至る道筋を明らかにするのがこの記事の目的である。そのためにまず今作を制作するきっかけになった「お題」の話からすることにしよう。

 

【②今作のお題:多人数ゲーム】

僕は今までMegalomaniac Gameというサークルでいくつかの同人ゲームを制作した。その中で意識しているのは制作する前に「お題」を設定することである。

これは「推理ゲーム」や「トリテ」などジャンルを定義するもの、もしくは「作品のコンセプト」のようなものだと捉えて貰って構わない。

僕は基本的にこれを先に決めて、そこからゲームを作る。

このような制約を先に決めてゲームを制作するのは、そういった縛りがある方がアイデアが出るような気がするし、何より自分の決めた「お題」に沿った作品を考えること自体がゲームの様で楽しいからだ。(料理バトル漫画のような気持ちでゲーム制作を行える!)

 

 

そして今回決めた「お題」が「多人数ゲーム」だった。

 

「多人数ゲーム」とは、明確な定義があるわけではないが、「6人以上で遊べるゲーム」を指す意味で用いられることが多い。有名なもので古いものだと人狼、それなりに新しいものだと『Welcome to……』などが挙げられる。

僕が今回のお題を「多人数ゲーム」に設定したのは強い理由があるわけではない。

ただ偶然その手のゲームを遊ぶことが続いて、その中で「多人数ゲーム」の魅力と課題について自分の中で考えがまとまってきたからだ。

そういった経緯があり、ひとまず僕は「多人数ゲームの魅力を保持したまま、それが抱える問題点を解決すること」をお題に設定し、制作を始めた。

 

【③多人数ゲームの魅力と問題】

そもそも「多人数ゲーム」の魅力とは何だろうか?

 

「ワカプレ」や「デッキビルディング」のようなメカニクスであれば、その特徴や魅力が何かを説明するのは比較的簡単だ。しかし「多人数ゲーム」とはあくまでプレイ人数を指す言葉であって、それぞれのゲームにおいてシステムやゲーム性に共通点は少ない。

そのため「多人数ゲーム」全てに共通する魅力を見出すのは難しい。

 

だがそういった前提を踏まえた上で、「多人数ゲーム」特有の魅力について考えるなら、僕は「大人数で1つの事をするという非日常感」にあると思う。

 

「多人数ゲーム」では1つの空間に大人数が密集して集まり、全員で1つのゲームを遊ぶことになるが、そもそもこのシチュエーション自体がレアなものだと感じる。

日常生活の中で6人を超える大人数で何か1つの遊びをするというのはそうそうあるものではない。スポーツはその側面があるが、これは広いスペースを必要とするし、デジタルゲームでこれを実現しようとすると基本的にオンライン環境でこれを行うことになる。

そう考えてみると、それぞれのプレイヤーが顔を認識できるくらいの距離感で集まり、1つの遊びをするという状況は中々無い。つまり「多人数ゲーム」には「非日常感」がある。普段ではなかなか味わえない状況の中でゲームをする、これは何故か自然と気持ちを高揚させ、凄いことが始まるのではないかと期待をさせてくれる。

 

「リアルで、沢山の人が集まり、同じことをする」、それ自体にパワーや面白さがあり、「多人数ゲーム」特有の魅力だと僕は考える。何だかとても感覚的な話で申し訳ないが、あながち見当はずれというわけでもないはずだ。

 

 

しかし魅力と対照的に「多人数ゲーム」には様々な問題があるのも事実だ。

いくつか具体例を挙げるなら、まず「ダウンタイム」がある。

ダウンタイムとは言わば手番外の待ち時間のことで、古いタイプの多人数ゲームではよくこれが問題になる。

例えばプレイ人数3人、プレイ時間30分のゲームがあるとすれば単純計算でプレイヤー1人につき10分の持ち時間がある。しかしこれがプレイ人数10人、プレイ時間30分のゲームだとすれば、プレイヤー1人の持ち時間は3分しかなく、ほとんどをダウンタイムに費やすことになる。

これは極端な例だが、ゲーム中の悩ましさとプレイ時間のバランスが悪い「多人数ゲーム」はよく見られる。これは間違いなく「多人数ゲーム」の問題点という事が出来るだろう。

 

 

そしてもう1つは「調整の難しさ」だ。

例えばゲームに「早い者勝ちの目標」の要素を入れようとする。

 

これは「一番早く条件を満たしたものがより多く点数を貰える」といったものを指す。例えばこれを3人用ゲームで導入したなら、1/3のプレイヤーがその恩恵をうけることが出来る。これは実現可能な目標であり、プレイヤーも達成を目指そうとするはずだ。

 

しかし同じ要素を10人用ゲームに取り入れたならどうだろう?

この恩恵を受けれるのは1/10のプレイヤーのみだ。それを達成する難易度も高いものになっていて、ほとんどのゲームでプレイヤーは恩恵を受けることが出来ない。これでは積極的に達成を目指そうとする気もなくなってしまう。

これは「多人数ゲーム」と「早い者勝ちの目標」というメカニクスの相性が悪いことを意味している。こういった相性の悪いメカニクスが多くあるのも「多人数ゲーム」の問題だと言える。

 

 

そして「調整の難しさ」という点でもう1つ指摘するなら「人数によってゲーム性が大きく変化してしまう」こともあげられる。

 

例えば有名な「ニムト」では2~10人でプレイすることが出来るが、プレイ人数によってプレイ感が大きく異なる。5~6人程度であればある程度他のプレイヤーの意思を推測が出来、選択に悩ましさが生まれる。

しかしこれを10人でプレイしたなら、他人の動向を推測するのは困難で、酷く場当たり的なプレイ感になる。このパーティーゲームっぽさを良しとする者もいるかもしれないが、それはそれとしてプレイ人数で体験が大きく変化してしまうのはあまり望ましくない。結局最適な人数でしかプレイされないのなら、多くの人数でプレイ可能という「多人数ゲーム」の特徴を潰してしまうことになる。

 

 

……と、このようにパッと思いつくだけでもこれだけの問題点があり「多人数ゲーム」を成立させることの難しさがうかがえる。僕はこれらを踏まえて、「多人数ゲーム」に様々な問題が発生するのは、それが「インタラクション」と相性が悪いという特徴があるからだと考えている。

 

「インタラクション」とはプレイヤーの選択が他のプレイヤーにどれほど影響を与えるかを意味する言葉であり、ほとんどのボードゲームでは多かれ少なかれ、このインタラクションが存在する。

しかし「多人数ゲーム」はこの「インタラクション」と相性が悪い。

例に出した「早い者勝ちの目標」はプレイヤー同士の速さを競わせる要素であるし、ニムトでは他人や自分の出したカードによって結果が決定する。どちらも「インタラクション」が強いもので、そのために問題が発生していると言えそうだ。

 

このように「多人数ゲーム」に強い「インタラクション」を取り入れようとすると様々な問題が発生する。だがこれはよく考えれば当たり前のことである。

例えば3人用ゲームなら他2人の動向に目を向けるだけで良いが、10人用ゲームなら他9人のプレイヤー全てが与える影響を考慮せねばならない。これは多分不可能であるし、成し遂げたとしても長く時間を費やしてしまう。

 

「多人数ゲーム」の問題を解決するためには、「インタラクション」を弱くすることが不可欠だと言えるだろう。

 

 

【④ソロプレイ型多人数ゲーム】

そしてこの問題を解決した「多人数ゲーム」が「ソロプレイ型多人数ゲーム」だ。

(この名称は僕が勝手にそう読んでいるだけで一般的なものではない)

 

これは「インタラクションを極限まで無くし、全員がソロプレイのゲームを同時に行うようなゲーム」のことを指している。具体的な作品だと『Welcome to……』などが挙げられる。ここでは『Welcom to……』を例にして「ソロプレイ型多人数ゲーム」の解説を行うことにする。

 



『Welcome to……』は都市開発をテーマにした紙ペンゲームである。

特筆すべきはプレイ人数。箱には1~100人までと記載されており、実質何人でも遊ぶことが可能だ。

ゲームの流れはラウンド毎に3つの選択肢が提示され、プレイヤーは各々好きなものを1つ選び、それに応じて自分のプレイシートに書き込みを行う。

この処理は全員同時に行われ、他人と選択が被ったりしても何ら問題が無い。

全員がシートへの書き込みを終えたなら、次のラウンドに進み、また終了条件を満たすまでこれを繰り返す。最終的に最も得点を得たプレイヤーが勝利するという流れだ。

 

 

『Welcome to……』が特徴的なのは「インタラクション」を極力なくし、全員同時に手番を行う点である。基本的に他のプレイヤーが何を選んだのかは自分に関与しないので、プレイヤーは他人の動向を気にすることなく如何に点数を伸ばしていくかに挑戦していく。これはまるでソロプレイのゲームを全員同時にプレイしているかのような構造だ。(一応Welcom to……には共通目標が存在するので完全にインタラクションが無いわけではない)

 

そしてこの「ソロプレイ型多人数ゲーム」は先に述べた「多人数ゲーム」の問題点をある程度解決している。ゲームを同時処理にすることで「ダウンタイム」が発生することなくプレイヤーはゲームを楽しむことが出来るし、「インタラクション」を極力排除することで何人でプレイしても問題が発生しにくい作りになっている。

その上でソロプレイ的ではあるが、きちんとプレイヤー同士で勝敗が着くためしっかりと多人数で「ゲーム」を遊べるようになっているのも見事だ。

 

このように「ソロプレイ型多人数ゲーム」は「多人数ゲーム」が抱える問題点に対して1つの回答であるし、構造としてよく出来ている。実際『Welocome to……』だけでなく似たようなゲームが近年多数制作されている点も、この構造が優秀であることの証明と言えるだろう。

 

 

僕としても「ソロプレイ型多人数ゲーム」という形式が素晴らしいものであることを否定はしない。しかしながらこの手のゲームに、従来の「多人数ゲーム」とはまた別の問題が生まれている点も僕は指摘したい。

というのも「ソロプレイ型多人数ゲーム」はインタラクションを減らすことで既存の問題点を解決したが、同時に「多人数ゲーム」が持つ魅力も減らしてしまった。

 

一番初めに述べたように多人数ゲームの魅力が「多くの人が1つの場所に集まり、同じことをする」部分にあると考えるなら、「ソロプレイ型多人数ゲーム」はどうだろう?一見「多くの人が1つの場所に集まって、同じことをする」という条件を満たしているように見える。しかし実際のゲーム中、プレイヤーは他者と関わることなく、システムと向き合い、黙々とゲームを行う。これでは本当にソロプレイのゲームをプレイしているような感覚に陥ってしまう。

 

つまり「ソロプレイ型多人数ゲーム」の問題は人とゲームをしている感覚が薄いという点である。これを僕は勿体ないように感じる。せっかくの「多人数ゲーム」であるなら「皆でゲームをプレイしているような感覚」が欲しいと思う。

 

 

以上の事を踏まえて僕は今回「多人数ゲーム」を作る上でクリアすべき目標を設定した。

 

①6人以上でも問題なく遊べるゲームであること。出来るならプレイ人数に制限がないものが望ましい。

②「人とゲームをプレイしている感覚」を損なわない構造であること。

 

これら2つの条件を満たしたゲームを制作するのが今回の目標だ。

そして僕はこの条件を満たすため、いくつかのゲームを参考にした。

次は参考にしたゲームを実際に挙げ、どのような点を作品に取り込もうとしたかを解説していこう。

 

【⑤チャレンジャーズ!】

『チャレンジャーズ!』は2022年に発売されたボードゲームだ。

2023年、あちこちで面白いと話題になったり、ドイツ年間ゲーム大賞のエキスパート部門を受賞するなど非常に勢いのあるゲームである。僕もプレイして、とても素晴らしい作品であると感じたし、大好きなゲームの1つだ。

 

ひとまずゲーム内容を知らない人のために概要を書いておこう。

『チャレンジャーズ!』は2~8人で遊べる対戦型カードゲームである。(ソロモードもある)

1ラウンドは「構築フェイズ」と「マッチフェイズ」に分かれており、これを7ラウンド繰り返す。「構築フェイズ」ではプレイヤーは山からカードを引き、自分のデッキを構築する。特徴的なのは「マッチフェイズ」で、ラウンド毎に対戦相手が定められており、そのプレイヤーと対戦を行う。もし勝利すれば得点を得ることが出来る。

これを繰り返し、7ラウンド終了時に上位2人のプレイヤーが決勝に進出。もう一度だけ対戦を行う。決勝で勝利したプレイヤーがゲームの勝者となる。

まとめるとリーグ戦を繰り返し行い、その後上位2人でトーナメントを行うといったようなゲームで、カードゲームの大会を模したような作りになっている。

 

 

『チャレンジャーズ!』は素晴らしいゲームで、語るべきところは沢山あるのだが、今回は「多人数ゲーム」としてこの作品を見ていきたい。

先に述べた「ソロプレイ的か?」という観点でこの作品を見た時、『チャレンジャーズ!』のプレイ感はそうではないように見える。一人黙々と点数を稼ぐといった形式ではなく、他人と同じゲームをしているような感覚がしっかりある。最大プレイ人数の8人では人々が1つの卓で行き交い、「全員で同じゲームをする非日常感」があり、多人数ゲームの魅力引き出しているように思う。

 

しかしシステムに注目してみるとどうか、『チャレンジャーズ!』にインタラクションはあるだろうか?僕は今作も『Welcome to……』などと同様にインタラクションを極力排除した作品であると見なしている。

例えば「構築フェイズ」ではドラフトといったインタラクションのある要素を取り入れることなく、山札からカードを引くという自己完結した行為しかない。これは他人の動向が絡むことないし、プレイヤーは引いたカードの中で何が最善かを考えることになる。プレイは同時処理で進行し、この点は「ソロプレイ型多人数ゲーム」のものと変わりがない。

 

そして「マッチフェイズ」では二人で対戦を行うという性質からプレイヤー同士の駆け引きが生まれるように思うが、実際の対戦はほとんど自動処理で進行し、「マッチフェイズ」中にプレイヤーが勝敗に関与する部分はとても少ない。そのため「2人対戦」という形式を取っているが、システムだけ見れば「構築フェイズ」でどれだけ上手くデッキを組めたかの答え合わせのような役割で、プレイヤー同士の交流が生まれるものではない。

 

また特定の相手に効果があるメタカードのようなものも存在しているが、デッキ構築のルール上、そういったカードを一時的に採用するのが難しくなっている。そういった点から『チャレンジャーズ!』の本質は「配られたカードの中で最良のデッキを構築すること」であり、それだけ見るとインタラクションの無いソロプレイ的なゲームだと言える。実際インタラクションを極力削ぎ落したゲームであるからこそ、処理がとても簡単なものになっているし、多人数ゲームでありながら45分程度でゲームを収束させることに成功している。

 

ではなぜ『チャレンジャーズ!』はインタラクションを排した作りであるのに、「人とプレイしている感覚」を損なっていないのか。それは『チャレンジャーズ!』の見せ方が非常に上手いからのだと僕は考える。

 

確かに『チャレンジャーズ!』にはインタラクションは少ないかもしれない。しかし形式としてカードゲームの大会を模した構造を取り入れたり、卓を疑似的に分断して「1VS1」の構造を複数作る。また「構築フェイズ」と「マッチフェイズ」の間では実際に席を移動するといった処理を行わせる。

こういった工夫によっプレイヤーは自然とシステムではなく、一緒にプレイしている人たちに目を向けるようになる。システム上、実際に人々が絡みあうことが無いとしても、心情的には他人とゲームをしているような気持ちになれるのである。

 

 

僕が『チャレンジャーズ!』を革新的なゲームと評するのもこの部分にある。

今までの「ソロプレイ型多人数ゲーム」では、プレイヤーはシステムに目を向ける作りになっていた。例えばそれはカードのめくり、ダイスの目といった人ではないシステムに目を向け、その中で最善を尽くすといった構造である。

その結果、「ソロプレイ型多人数ゲーム」では「プレイヤー対システム」という構造が人数分生成される。それによりプレイヤー同士は分断され、ソロっぽいプレイ感に繋がっていた。対して『チャレンジャーズ!』では見せ方を工夫することで、プレイヤーの意識を「システム」ではなく「人」に向けさせている。この部分が素晴らしい。

 

 

そしてこの『チャレンジャーズ!』が実現したことは今回作る「多人数ゲーム」のヒントになった。もし「何人でもプレイできるゲーム」を制作するなら、インタラクションを排除することは必要不可欠だ。その上で「人とゲームをプレイしている感覚を損なわないようにする」という条件を満たすには、見せ方を工夫して、プレイヤーの意識をシステムではなく人に向けさせれば良い。それこそ『チャレンジャーズ!』のようにだ。

 

ではそれを実現するにはどういった見せ方をすればよいのか?

『チャレンジャーズ!』ではカードゲーム大会を模すことで実現していたが、これをそのままパクったのではあまりに工夫が無い。ひとまず僕は別の良い見せ方を模索することにした。

 

【⑥レディ・セット・ベット】

そうした中でプレイしたのが『レディ・セット・ベット』というゲームだ。

そしてこれは『ハイスコアラー1986』に最も影響を与えた作品である。

 

 

『レディ・セット・ベット』はまだ日本語版も発売されておらず、良く知らないという人も多いだろうから先にゲームの概要を記載しておく。

 

『レディ・セット・ベット』はパッケージからも分かるように競馬がテーマのボードゲームであり、2~9人まで遊べる対戦型ボードゲームだ。プレイ時間は45~60分程度。

 

ゲームでは2つのダイスと、9つの馬の駒、そしてレース場を模したボードが用いられる。1人のプレイヤーがゲームマスターとなり、ダイスを振る役を与えられる。(これは専用のアプリを使うことで代用することが出来る)

 

ゲームマスター(またはアプリ)」はひたすらダイスを振る。

そして2つの目の合計値に対応する馬の駒を前進させる。

そして他のプレイヤーはその様子を見ながらルーレットのベッティングエリアのようなボードに自分のチップを置いて賭けを行う。基本的にそれぞれのスペースは占有であり、誰かが置いたスペースにチップを置くことは出来ない。

ある程度レースが進行すると、新たな予想を行うことは出来なくなり、どれか1頭がゴールしたなら順位に応じて得点計算を行う。プレイヤーは予想が正解すると得点を得ることが出来る。

これだけでは7の馬が非常に有利のように思えるが、確率的に出にくい出目を担当する馬には強力なボーナスがあったり、配当が大きいなどの調整が効いているため、一筋縄ではいかないゲームになっている。

 

このレースを何度か繰り返し、最終的に得点を一番獲得したプレイヤーが勝者となる。

 

この『レディ・セット・ベット』は競馬要素とリアルタイム要素が見事に融合した作品で、とてもよく出来ている。『チャレンジャーズ!』同様に素晴らしい作品であり、僕も大好きなゲームだ。機会があればプレイする価値のある作品だと思う(日本語版出て……!)

 

 

それはそれとして、今回言及したいのはメインのゲーム部分というよりサブの要素、ゲームマスター」と「アプリ」による進行の違いだ。先に述べた通り『レディ・セット・ベット』は誰かがダイスを振る役を担当しなくてはならない。だがこのプレイヤーはゲームに参加できなくなるので、専用アプリによる進行に任せた方が親切だ。

 

しかし僕が初プレイの際はアプリを入れるのも面倒だし、スマホの画面では小さく見にくいので、経験者に「ゲームマスター」を担当して貰ってゲームを始めた。するとどうだろう、「ゲームマスター」がダイスを振り、駒を動かす。その動作に全員が注目し、時には出た目に喜び、時には嘆き野次を飛ばす。「ゲームマスター」がどの速度でダイスを振るか、更にダイスを机の下に落とすというちょっとしたアクシデントでさえゲームに影響を与える。こういった一連の体験がとても面白く、かつ卓全体に一体感を生んでいた(ように思えた)。

 

その後、僕は自分が「ゲームマスター」を担当したり、「アプリ」を用いたプレイを試してみた。自分が「ゲームマスター」の時のゲームは、先ほどと同じような体験が味わえたし、自分のダイスの目によって他プレイヤーが一喜一憂するのは得難い体験であった。しかし「アプリ版」でプレイした時は、もちろんゲームとしての面白さはしっかりあるのだが、「ゲームマスター」のいた時と比べて熱のようなものが欠ける印象を覚えた。これは僕の感覚による話なので勘違いという可能性もあるが、「ゲームマスター」と「アプリ」によって少し体験は異なっているように感じる。

 

勿論「ゲームマスター」と「アプリ」で行っている処理は変わらない。

ただそれでも体験が異なるように感じられたのは、やはりこれも『チャレンジャーズ!』同様、見せ方の問題だと僕は思う。「アプリ」を用いた進行ではプレイヤーはやはりシステムに目を向けているような感覚だ。ただ「ゲームマスター」がこれを担当することで、まるで人に目を向けているような感覚に陥るのである。言ってしまえばこれはまやかしに過ぎない。しかし実際そう感じられたのなら嘘であるとも言えないはずだ。

 

『レディ・セット・ベット』のこのような点から僕はこう考えた。

 

「ソロプレイ型多人数ゲーム」のシステムが担当している部分(Welcome toでいうところの中央のカード)を、プレイヤーに置き換えることで自然と人に目を向けるようになり、卓全体に一体感を生み出すことが出来るのではないか。これは本当に単純なアイデアだが、試してみる価値はあるように思えた。

 

そしてもう1つ、僕がそのアイデアを試そうと思った理由の1つに『レディ・セット・ベット』の「ゲームマスター」が単調だということがある。もちろん先に述べたように「ゲームマスター」版は体験としては面白いし、その役を担当するのも楽しい。だが同時に作業的であるということも否定できない。それに『レディ・セット・ベット』はプレイ時間は45~60分と短いゲームでは無いため、楽しいは楽しいが少し飽きるというのも事実だ。

 

僕は「ゲームマスター」版を高く評価しているが、そこを改良する余地があるとも感じていた。そこで「ゲームマスター」の立ち位置の人に「ひたすらダイスを振る」のではなく「何か別のゲーム」をプレイさせる。そしてそれ以外のプレイヤーはその結果を予想する。こうすれば「ゲームマスター」自身もゲームを楽しめるはずである。

 

こうした考えを突き詰めるうちに、『ハイスコアラー1986』の「1人がソロゲーをプレイし、他のプレイヤーはそれを観戦しながら結果を予想する」という構造が出来上がっていったのである。

 

【⑦『観る』という娯楽】

ただこのコンセプトは不安な部分もあった。

「ゲームをするプレイヤー」と「それを観戦するプレイヤー」ではどうしても体験に差が出る。例えば「スコアラー」のゲームが悩ましく楽しいものであっても、それを見ている「観客」は本当に楽しいのだろうか?もしその満足度に大きな違いが出てしまうなら、ゲームとしては良くないし、プレイされることも無くなってしまう。

 

つまり僕の不安だったのは「観戦」と言う要素がエンタメになりえるかという点だった。だが日が経つにつれてこの不安は次第に薄れていった。というのも「観戦」するという娯楽が日常に溢れていることに気づいたからだ。

「皆で何かを観る」という娯楽は現代社会に溢れている。

 

最もポピュラーなものだと「スポーツ」がある。毎日たくさんの人がその魅力にひかれ、スタジアムに足を運んでいる。少し視線を変えるなら「配信」なども「観る」という娯楽の1つである。「ゲーム配信」は人気のあるジャンルだし、それを見ている人は自分がプレイしているような気持ちになったり、コメントを飛ばしたり他人のコメントを読んだりして、その時間を楽しんでいる。

そう考えると「観戦」というのが強い娯楽であるのは疑いようもない。

 

更に加えて言えば、「全員で同じものを観る」という行為がそういった場に一体感を生んでいる点も見逃せない。スタジアムや配信で、ここにいる全員が同じものを見ているという状況が一体感や緊張感を生み出しているのは説明するまでも無いだろう。

であるなら「ソロプレイ型ボードゲーム」に一体感を与える為、「観戦」という要素を持ち出すのはそこまで見当はずれなことでもないはずだ。

 

もちろんあくまでこれは「ゲーム」なのだから、ただ観戦するのではなく「観客」もゲームとして楽しめるようにしなくてはいけない。そういった調整が難航する可能性はあるが、挑戦する価値も十分にあるように思えた。

 

このような理由で僕は方向性を決め、『ハイスコアラー1986』の制作を始めたのであった。

 

【⑧制作で意識したこと】

では次に『ハイスコアラー1986』のシステムについて細かく解説……と行きたいところだが、それを始めるとまとまりがなく分かりにくい話になってしまうので、今回は僕が制作する上で意識したことをざっと紹介するだけに留める。

また「全体の話」「スコアラーのゲーム」「観客のゲーム」の3つに分けてそれを解説していこうと思う。

 

「⑧-①:全体の話」

『ハイスコアラー1986』のベースは『レディ・セット・ベット』だ。「1人を観て、皆が予想する」という構造や、予想を行うゲームであるなど共通点はとても多い。

 

ただ「ゲームマスター」のプレイヤーが行うことを「ダイスを無限に振る」から「ソロゲー」に置き換えることで、そのプレイヤー自身もゲームを楽しめるようになっている。

 

また『レディ・セット・ベット』では観客同士に早取りのインタラクションがあり、それが良い緊張感をもたらしていたが、『ハイスコアラー1986』では何人でもプレイできる構造にするため、このインタラクションを排し、別の制約に置き換えている。

 

また『レディ・セット・ベット』では複数回ラウンドを行い、プレイ時間も45~60程度であったが、『ハイスコアラー1986』ではプレイ時間を15分程度に抑え、プレイしやすくなるような調整を行った。

 

「⑧-②:スコアラーのゲーム」

「スコアラー」のゲームにおいて意識したことは大きく2つ。

 

まず1つは「出来る限りシンプルなものであること」

これは「観客」のゲームが、「スコアラー」のゲームを理解した上で成立するものであるからだ。もし「スコアラー」のゲームが非常にややこしいルールであったなら、これは「観客」にとって大きな負担になる。そのため「スコアラー」のゲームは極力シンプルになるよう調整した。

 

もう1つは「盛り上がるポイントがあるゲームであること」

「スコアラー」のゲームはそれ単体で悩ましいものであるべきだが、淡々と進行しすぎてもいけない。「観客」が盛り上がるポイントがしっかりあるゲーム、具体的なシステムで言えば「ダイス」や「バースト」の要素があるものの方が良いだろうと思い、その方向でゲームシステムを考えた。

 

これら2つのことから「スコアラー」のゲームは「ダイスを用いたシンプルなセットコレクション」に決定した。このゲーム自体に目新しさはほとんど無いのだが、逆にそれがわかりやすさに繋がっているはずである。

 

「⑧-③:観客のゲーム」

「観客」のゲームにおいて意識したことも2つ。

 

1つは「スコアラー」のゲームと同じく「シンプルであること」

まず「観客」は「スコアラーのゲーム」と「観客のゲーム」の2つのルールを理解しなくてはならない。どちらも難しいものではないが、それが2つになったならプレイヤーの負担は倍増する。なので「スコアラー」のゲームと同じく、出来る限りシンプルになるように調整を行った。

 

もう1つは「予想に関する制約」だ。

何かを予想するゲームは基本的に遅く予想した方が正解しやすい。

ただ情報が出揃ったタイミングで予想するだけだとつまらないので、従来の作品、「レディ・セット・ベット」や「メンバーズオンリー」などはインタラクションを用いることで予想に制約を与えている。これは予想を行える人数に制限があるというシステムだ。

プレイヤーは出来る限り遅く予想することで的中率を上げたいが、他のプレイヤーに先を越されてしまえば予想が行えないというジレンマだ。この仕組みはシンプルで、非常に効果的だが、『ハイスコアラー1986』では何人でもプレイできるようにしたいため、これを取り入れることは出来ない。

 

そのため、今回はラウンドで予想できる回数に制約をつけることにした。

これによりプレイヤーはある程度早いタイミングで予想を行わなくてはならない。これによりインタラクションを排しながらも、予想のタイミングに制約が生まれているはずである。

 

 

【⑨今作の不安点】

さてゲームの解説としては以上なのだが、最後に今作の不安点について作者の目線で解説しておきたい。勿論僕としては面白いゲームであると思っているし、せっかく作ったのだから沢山売れて欲しい。

 

だからとって誰にでも薦めることが出来るかと言えばまた違う。

どんなゲームにも向き、不向きがある。

一番の悲劇はせっかく興味を持って買ったのに自分に合わなかった時である。

これは購入した人は勿論、僕としても悲しい。

 

こんな事態を防ぐため、事前に不安点、人を選ぶかもしれないところを書き記して置く。それらを踏まえて購入を検討して貰えると、僕としても嬉しい。

 

「⑨-①:15分ゲームであり、運の要素は強い」

ここまで長々と『ハイスコアラー1986』の背景にあるものを解説してきたが、まずこのゲームが「15分で終わるゲーム」であることは忘れないでいただきたい。多分この記事をここまで読んでいる人は相当なギークである可能性が高いと踏んでいるが、もしあなたが非常に悩ましく濃密な重量級ゲームだけを愛するような人であるなら、このゲームは合わないかもしれない。

 

「スコアラーのゲーム」と「観客のゲーム」ではある程度の悩ましさは存在するが、それでも運の要素はかなり強い。基本的に「スコアラー」は運が悪ければハイスコアを取ることが出来ないし、「観客」の点数もダイスの目に大きく左右される。

全体的なプレイ感がパーティーゲーム寄りだということは、1つ伝えておきたい。

 

 

「⑨-②:構造自体の難しさ」

『ハイスコアラー1986』では「スコアラーのゲーム」と「観客のゲーム」がメタ的な構造を伴っている。この構造は独自の面白さに繋がっているのだが、複雑だという欠点もある。

「観客」のプレイヤーが勝利するためには自分のルールだけでなく「スコアラーのゲーム」のルールを理解することが必要不可欠だ。これは「非対称ゲーム」が抱える欠点をそのまま受け継いでしまっている。そのため初めてのプレイではよく分からないまま終了してしまう可能性がある。

この構造自体が少し難しく、初回のプレイヤーに優しくないというのは欠点と言える。

 

 

 

……と、以上2つが僕の不安点だ。

この15分ゲームでありながら、構造が難しいという部分が少しアンバランスに思えるところはある。だが勘違いして欲しくないのは、そういった欠点はありつつもきちんと独自の面白さがあるゲームでもあるということだ。

 

「運の要素が強い」という点も「15分ゲーム」という部分を考慮すれば十分許容されるレベルだと感じるし、「構造が難しい」とは言え全体的なルールはとてもシンプルで一度理解してしまえばそこまで複雑ではない。

 

もしここまで読んで少しでも興味を持ったなら、ぜひ一度遊んで判断して貰えると僕はとても嬉しい。

 

 

【⑩まとめ】

長くなったが、以上で『ハイスコアラー1986』の解説を終わりにする。

 

今作は9/3・4に静岡県御殿場市で開催されるボードゲーム大祭」にて販売される予定だ。場所は「さくらの間-19:サイシュピールブース。価格は2000円。

 

また2023年12/9・10に開催される「ゲームマーケット2023秋」でも販売を行う予定でもある。まだ先の話にはなるが、買ってもらえると嬉しい

 

 

それでは最後まで読んでくれておりがとう!

是非当日ブースにてお会いしましょう!